おばあさん見習いの日々(ダジャレ付き)

1961年生まれ。丑年。口癖は「もう!」

京都からはいろいろ「来る」んだね

 三月の東京旅行は夫との二人旅だったのですが、「連れ」がいる旅行の良いところの一つに、「一人だったら行かないだろうな」と思うような所に行って、思いがけない面白さに出会う、という事があげられるでしょう。

 

 二人で皇居に行きました。皇居に着くまでにかなり歩いたし、時間も遅かったので、案内図を見ながら一応聞いてみました。

 「だいぶ奥の方に『江戸城松の大廊下跡』っていうのがあるけど、行く?『跡』だから何も無いとは思うけど・・・」

 夫はキッパリと答えました。

 「行くに決まってるだろ」

 夫は『忠臣蔵』が大・大・大好き。ま、そうなりますよね。一応聞いただけです。

 『廊下跡』は庭園の一角に案内板がたっているだけで、本当に何もないんです。それでも夫は大満足。

 「このあたりを本当に歩いていたかも知れないぞ」とか言ってました。

 勿論、私も嬉しく満足です。夫の喜ぶ顔が見られたのですから。ホントですよ。第一、冒頭に書きましたように、一人だったら来なかったような場所に居ると言うこと、そのこと自体に旅の面白さがありますから。

 

 さらに、この後。東京駅への道をスマホで調べていると、すぐ近くに『将門塚』があるということが分かりました。こちらも一応、夫にお伺いを立ててみました。まあ、行かないでしょうと思いながら。そうしましたら、意外にも

 「是非行きたい」と。

 へー、平将門にも興味があるんだあ、珍しい人だなあ。じゃあ、そこを通って駅に向かいましょう。スマホには「混んでいます」の表示があるけれど、車が渋滞してるのかな?などと思いつつ・・・。

 

 

 ホントに混んでた~!

 『将門塚』に行きたいと言った夫は珍しい人じゃなかった~。でも、なんでこんなにお参りに来てるの?『将門塚』に行きたいと言った夫でさえ、

 「なんでだ?」

と不思議がっていました。若い人が多かったので、いわゆる「聖地」か何かになっているのでしょうか。

 ところで『将門塚』とは、戦死した後、京都でさらされていた平将門の首級が、白い光を放ちながら東国を目指して飛び、その落ちた場所だとされているのだそうです。

 先日は太宰府天満宮の「飛梅」についてちょっと触れましたが、京都からは実にいろいろなものが飛んで来るんですね。

 そう言えば、今は東京にお住まいの天皇陛下ですが、天皇家も元々は京にお住まいで、明治維新の際にこちらにおいでになられたんですよね。

 その頃はまだ飛行機の時代ではありませんから、「飛んで」ということはないでしょうが、では、どういう乗り物で行幸されたか、皆さん分かります?私、分かるんですよ(自慢)。というか、今年一月、偶然知ったんですけどね。

 

 「鳳輦(ほうれん)」と言う天子・天皇のための特別な乗り物があるのです。↓

 


 一月、東京国立博物館にて撮影。

 普段は展示されていないらしいのですが、東博150周年と言うことで、特別に展示されていたようです。そうとは知らず撮影したのですが、写真って撮っておくものですね、論より証拠ですから。

 ただ、今回ちょっと調べたところによりますと、明治天皇は「鳳輦」には皇居近くになってからお乗り換えになられたのだそうです。それまではずっと、「板輿」というものに乗られていたそうです。理由はそちらのほうが幾分乗り心地が良かったと言うことらしいです。

 それにしても、長旅です。お体もさぞ大変であらせられたことでしょう。特におが・・・。では。