おばあさん見習いの日々(ダジャレ付き)

1961年生まれ。丑年。口癖は「もう!」

①「希少価値」について考えている(彫刻)

 ここしばらく「希少価値」ということについて物思う事が続いていて、まとまったらブログに書きたいなあと思っていました。でも、いつまでたってもまとまる気配がないので、取り留めなくとも書いてみることにします。

 昨日がずいぶん久しぶりのブログ更新でしたが、決して「希少価値」を狙って更新を止めていたのではないですよ(笑)。単純に書けなかっただけです。

 

 先月半ば、東京に遊びに行ってきました。いつも通り(昭和の東北人なので)、上野公園を中心に歩き回りました。

 上野の国立西洋美術館の前庭には、ロダンのブロンズ像がいくつか並んでいます。何十年も前に初めて見たときからなのですが、あまり有り難みを感じないんですよね、あの有名なロダン作品だというのに。その理由はきっとブロンズ像だから、だと思っています。

 今更の説明ですが、彫刻には石像(大理石等)や木造の像のような一点ものもあれば、型をとって流し込んで造る鋳造という、同じものを何体も造ることが可能な手法のものもあります。ブロンズ像は後者ですね。

 失礼ながら、上野のロダンはあまりにも有名であるがゆえに、逆に「レプリカじゃ~ん」って思ってしまっているのだと思います。

 

 その点、木彫には唯一無二のオーラと言いますか、一点ものの有り難みがありますね。

  菩薩立像 鎌倉時代 重要文化財 東京国立博物館

 こちらの菩薩像は本当に優美な姿をしておられるのですが、特に後ろ姿のたおやかさは、全くの女性と言っても過言ではないと思いました。修行僧には目の毒では、そんなことまで想像したほどです。

 

 吉祥天立像 平安時代 東京国立博物館

 「本物をみられて良かった。本物を見る喜びはこういうことだ」、こちらの像をみてつくづくと思いました。気高さというものが重厚さをもって迫って来るのです。写真や映像では感じられないだろう、本物の迫力があるのです。

 

 ああ、有り難や有り難や。本物って、一点ものって素晴らしい!そんな事を無意識に思いながら、国立博物館を出て、上野駅に向かいました。途中、西洋美術館の横を通り、「ああロダンがあるなあ」と目の端に入れながら、特に見たいとも思わず。

 

翌日。目的の場所に行く途中、「恵比寿ガーデンプレイス」という名前だけは聞き覚えのある、洒落た一角を目にしました。時間があったので、ちょっと寄り道してみることに。

 『永遠の休息の精』 オーギュスト=ロダン 恵比寿ガーデンプレイス

 ロダンのブロンズ像がこんな所にも!

 ものすごく不安定な奇妙なポーズで、でもそれがかえって魅力となっています。面白い作品だと思いました。そして気づいたのです。「レプリカ感がない!」という自分の気持ちに。知らない作品だから、どこかにある本物(最初の鋳造)が意識に上らないのだと思います。

 一点ものの有り難みや希少価値って、それが希少(一点もの)であるということを知っていてこその価値なわけですよね。ロダンのブロンズ像は、世界に何点という希少性は勿論あるのですが、私の中では「でも何点もあるんでしょ」という、有名であるが故の不思議な逆転が起きているのだと思います。

 

 もう一つ、東京で出会ったブロンズ像のお話をします。

 『ママン』 ルイーズ=ブルジョワ 六本木ヒルズ森タワー広場


 何の予備知識も無く息子その1から、「六本木ヒルズの有名な蜘蛛、見る?」と連れて行ってもらいました。遅い時間だったので、暗闇でライトアップされた姿をみたのですが、都会のど真ん中に蜘蛛という取り合わせが面白く、不思議なムードが漂っていました。お腹の中に卵を抱えているので、「メスの蜘蛛なんだ」と思いながら、気づくと私自身がすっぽり収まっているという、蜘蛛の子供になる体験を知らず知らずしているのでした。

 後で調べてタイトルが『ママン』(フランス語でお母さん)だと知りました。また、世界的に有名な作品で、全世界の9箇所ほどで展示されているのだそうです。予備知識なしで見たので、「レプリカじゃ~ん」は思いませんでした。

 でも、もしも全世界にあると知っていたらどうだったでしょう?「レプリカ感」をもったでしょうか?おそらくですが、この作品にはそれは感じなかっただろうと思います。なぜなら、巨大だったから。巨大は正義!おいそれとは作れない物理的に巨大な造形には、希少性があるのです。苦も無く作れるものではないですからね。続く。

 

オマケ 青森県には伊奈かっぺい氏という、言葉の魔術師的タレントがいるのですが、彼のネタを一つ紹介します。

 「ここが六本木?青森にも三本木ってあるけど、倍以上にぎやかね」