おばあさん見習いの日々(ダジャレ付き)

1961年生まれ。丑年。口癖は「もう!」

スキージャンプと札幌五輪の思い出①

 二三日前だと思うのですが、編み物をしながらテレビの冬季オリンピック関連の番組を聞いていました。お名前は聞き逃したのですが、スキージャンプの解説をなさる方が、「スキージャンプは誰でも出来るという競技ではないのですが、」とおっしゃっていて、その通りだよねと深く頷いてしまいました。

 子供の頃に、スキージャンプの起源について書かれたものを読んだことがあります。なんでも、かつてノルウェーでは、死刑の宣告を受けた罪人に山の上でスキーをつけさせ、谷に向かって突き飛ばし、死んだらそれまで、無事に谷を越えられたら無罪放免としていたのだとか。今の私がこの話を聞いたなら、嘘くさーと思うのですが、何しろ純真な子供の頃に脳にインプットされたものですから、すっかり信じ込んでいました。

 今、改めてこの説を思い出し、これは一度きちんと調べてみなければと思いました。まあ、きちんと調べるとは言っても、私の場合はいつも通りネット頼みなのですが。

 

 今までに何回も書いているセリフなのですが、「ネットって本当に便利ですね」。スキージャンプの起源について、あっさり調べることが出来ました。

 私が子供の頃に知った「罪人の刑罰説」も有名なようで、言及している記事も容易にみつかりますが、やはりこの説は俗説のようです。

 かわって最も有力な説とされるのが、19世紀のノルウェーで人々がスキーで遊んでいるうちに、自然発生的に競技となった、という説です。その自然発生した地が、テレマーク地方なのだそうです。

 

 テレマーク!スキージャンプの着地のあの姿勢、「テレマーク姿勢も決まった~」とアナウンサーが叫ぶあれ、そういうことだったのか!長年のボンヤリとした「テレマーク姿勢ってどういう意味なのかなあ」という疑問が、思いがけずスッキリと解決したのです。地名だったんだー。

 スキージャンプの起源を解明しようと思ったら、思いがけない遠くまで飛距離が伸びた、そんな感じの嬉しさです。嬉しさK点越えです。(Kは解明のK)

 

 今回分かった起源に、「遊んでいるうちに」という部分がありますが、その事で思い出される懐かしい風景があります。

 私の実家のすぐそばにかなり急な坂道がありまして、後には禁止されたのですが、私が小学生だった頃は村の子供達がスキーやソリを楽しんでいました。私はソリ派だったので、凄いスピードで滑り降りてくる男の子達とぶつからないよう、遠慮がちに滑っていました。

 あるとき、坂の途中に雪を固めて作られた大きなこぶが出現していました。スキーの男の子達をみると、そのこぶはジャンプ台を模していて、坂の上から滑降してきてそのこぶを踏み切り、どのぐらい飛べるかを競い合っているのでした。「ノルウェーでスキーで遊んでいるうちに」というのは、ああいう感じだったんだろうなとすぐにピンと来ました。

 でも、実はそれとは裏腹に「逆だったかもしれない」という気もしているのです。スキージャンプを知ってこぶを作ったのでは無いかという意味です。というのは、その坂道のこぶは毎年出現していたのではないような記憶だからです。ひょっとして、それは1972年の冬(私は小学四年生です)の出来事だったのではないか、そんな気がするのです。

 1972年、札幌冬季五輪。

 忘れられないのはなんと言っても、笠谷幸生氏を中心とする『日の丸飛行隊』ですね。70m級ジャンプ(現在はノーマルヒル)で金銀銅を独占し、三本の日の丸の旗が青空に翻った映像は、幼い目にも焼き付きました。

 スキーよりもソリで遊ぶ方が楽しい女の子でも感動したスキージャンプ。恐い物知らずの小学生男子が憧れないはずがありません。ある日忽然と現れた雪のこぶは、そんな男の子達の憧れを固めたものだったのでは、そんな風な空想をしています。

 スキージャンプの話題から札幌五輪の思い出に話はジャンプし、かなり懐かしい気分に浸ったのでした。これもやっぱり回顧のK、K点越えなのです。願わくば、文章としてきれいに着地しているといいのですが、どうでしょう?

 明日もこの思い出話の続き、札幌五輪について書きたいと思っています。お付き合い下さいね。では。