おばあさん見習いの日々(ダジャレ付き)

1961年生まれ。丑年。口癖は「もう!」

スキージャンプと札幌五輪の思い出②

 昨日の続きを書くわけですが、今日もやっぱりネットで仕入れた小ネタを連ねていきたいと思います。だいたいは例によってWikipediaが出所です。私の書いたことを「もっと詳しく知りたい」と思われる方がいらっしゃいましたら、検索なさってみて下さい。

 

 いきなりオリンピックとは無関係な話題ですが、皆さんはヴィダル・サスーンという有名なヘアデザイナーはご存じでしょうか。今日では当たり前になっている「カットでヘアスタイルを作る」という技法(サスーン・カット)の先駆者であり、「どんな斬新なヘアスタイルを作っても、すでにヴィダルがやっている」と言われるほどの人物なのです。女性は知っているという方が多いと思いますが、ヘアケア製品のブランド名としても有名ですので、男性もCMで聞き覚えがあるという方も、いらっしゃるかと思います。

 この後、札幌五輪の思い出について書くわけですが、このヴィダル・サスーンという人名がそれにどうかかわってくるのか、着地をお楽しみにお読み頂ければと思います。

 

 札幌オリンピックでは「日の丸飛行隊」と呼ばれた、三人のスキージャンプメダリストが大人気、一躍日本のヒーローとなりました。

 そして、女性ではこの方、「札幌の恋人」「氷の妖精」と呼ばれて日本中を虜にしたのが、フィギュアスケートのジャネット・リン選手でした。彼女の人気の秘密はなんと言っても、リンク上でみせたあの笑顔でしょう。しかも、その笑顔は得意満面の場面ではなく、金メダル候補とされながらも尻餅をついてしまったという、なんとも厳しい状況の中でした。着地で転ぶという大失敗にもかかわらず、彼女は終始笑顔で演技を行い、世界中から賞賛を受けたのでした。

 (お断りしておきますが、ここで書いていることは全て私の記憶にあったわけではなく、Wikipedia等を読んで、ああそうだったんだと思いながら書いています。何しろ小学四年生でしたから。記憶も曖昧なのです)

 更に、彼女の伝説的とも言える人気の決定打となったのが、宿舎の壁に残した彼女の落書き、『Peace&Love』でした。小学四年生の私でしたが、ジャネット・リンと言えば「ピースアンドラブ」と、はっきり覚えているのです。

 

 今回の北京五輪の開会式では東京に続いて『イマジン』が使用されました。また、これはネットで知ったのですが、バッハ会長もスピーチで「Give peace a chance(平和を我らに)」というフレーズを使ったそうです。

 札幌オリンピックからちょうど50年。ジャネット・リンが書いた「Peace」の願いは、残念ながら未だに「願い」のままなのです。いえ、むしろ50年前よりも世界はきな臭くなっているかも知れません。オリンピックという平和の祭典をみながら、こんな事を考えてしまうのは、なんとも残念な事だと思わずにはいられません。

 

 さて、昨日今日と、北京五輪に刺激されて思い出した、札幌五輪にまつわる私の記憶にお付き合い頂きましたが、そろそろ締めたいと思います。

 ジャネット・リン選手はその愛くるしい笑顔も素敵でしたが、あの金髪のさらさらヘアも忘れがたいです。彼女が氷の上で回転すると、金髪も嬉しそうにクルクルと回っていた映像をおぼろげに覚えています。そして、あの髪をカットしたのこそ、冒頭で紹介したヴィダル・サスーンその人だったのだそうです(Wikipediaより)

 皆さん、この文章の最後の着地、いかがでしょうか?ジャネット・リン選手の競技、フィギュアスケートにちなみ、最後はひねりを加えてみましたよ。では。