おばあさん見習いの日々(ダジャレ付き)

1961年生まれ。丑年。口癖は「もう!」

稲刈ってみた

 「稗取り」のお手伝いに伺った知人の田んぼ。いよいよ稲刈りとなりました。「微力ながら」と、昨日お手伝いに参上したのですが、お手伝いになったかどうか。

 初めての稲刈り、私にとっては有り難くも貴重な体験となりました。

 

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 秋晴れの津軽平野。田んぼ、林檎の木、そして岩木山。The 津軽という感じです。知人の田んぼは、この写真の、道路を挟んで手前側に位置しています。

 今時の稲刈りは「コンバイン」を使って、稲刈り・脱穀を同時に行い、その後は機械乾燥という流れらしいのですが、知人の所は違います。刈った稲を天日で乾燥させ、その後で脱穀をするという「手間」のかかる昔風のやり方です。

 

 「この前の雨で水が思った以上に抜けなくて、泥田(どろた)だよ」

 知人が最初に申し訳なさそうに言うのですが、あまりピンと来ませんでした。泥に足をとられる大変さは「稗とり」で経験済み。気を付けさえすれば、そんな風に高をくくっていたのです。

 まず最初、稲刈り機が方向替えをする場所を作るため、手で(鎌で)稲を刈ることになりました。なにしろ初めてなので上手く出来るかドキドキだったのです。が、鎌がいいんでしょうね、思ったよりスパスパ、簡単に出来るのです。

 楽勝~、そう思ったのもつかの間、7,8株刈りためたところで畦まで運んでいくのですが、その往復がきつい。泥田の洗礼を受ける事になります。一歩一歩が重い。戻って、しゃがんで刈って、立ち上がって運ぶ、15分で、「ちょっと休みます」

 その後まもなく、「後は機械でやるから、棒掛けに回って」と配置転換になったのですが、昔の人は凄いですね。全部、手で刈ったんですから。もの凄い重労働です。

 

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 「機械」って凄いんですよ。刈られた稲は一定の太さで紐で束ねられて、並べられていくんです。それを集めて、「棒掛け」にして乾かします。

 棒を立てるのは、力持ちの若者が一手に引き受けていました。専用の器具で地面に穴をあけ、その後、先の尖った杭を力一杯突き立てるのですが、その様はまるで獲物を仕留めるかのようです。

 その立てられた杭に知人が横棒をロープで結わえ付け、土台となる稲束を10束ほど、手、膝を動員してバランス良く乗せます。この一連の流れはコツがいるので、知人一人で休む間もなく、次々とこなしていくのです。

 私と数人の手伝いは、広い田んぼから稲束を拾い集めつつ、土台が出来た棒杭に、井桁になるよう稲を積んでいきます。稲も束になると、結構な重さです。脇に抱えたり、肩に担いだり、少しでも楽な方法はないか試行錯誤しながら、

 「稲が重いって、農家にとっては嬉しいことなんだろうな」

そんな風にも考えてみるものの、重い物は、重い!そして、泥田を歩く長靴も重い!歩いている距離は決して遠くはないのですが、一歩一歩が本当に重い。時には泥に足をとられて転びそうになったり。

 午後からは西日が容赦なく照りつけ、全身から滝の汗。ゴム手袋をつけた手も汗をかくのですが、人間の手から、これ程の汗が出るものかとビックリです。

 私は勝手に休憩をとったり、また、しょっちゅう水分を補給したり、本当に自分ペースの「お手伝い」なのです。それに比べて本職の農家たる知人の働きぶりときたら。「餅は餅屋」と言いますが、もちろん米だって、やっぱり本職は本職なのです。凄いなあ。

 

 ほんの半日前までは黄色く実っていた田んぼが、あっという間に刈り田になります。稲束を集めていると、イナゴが盛んに飛び交います。それはまあ想定内と言いますか、「稗取り」でも経験した眺めです。驚いたのは、蛙です。稲という隠れ蓑を失って、オロオロと泥田の中を這ったり、跳んだり。あんなに沢山の蛙を見たのは初めてです。普段は蛙一匹にも「キャー」な方なのですが、不思議と平気なものです。「帰るところがなくなっちゃったね」と、同情心までおきました。頑張って生きてケロ。

  さあ、とりあえず今日の分の作業は終わりです。おばちゃんは帰るよ~。

 

 陽がさして、風が吹いて。汗をかいて稲刈りして。イナゴが飛んで、蛙が跳ねて。私の4連休二日目は、なかなかのものでしょう?「稲刈り、い~ね~」と言って。では。