稗(ひえ)って、なんとなく知った気で居たんです。稗とか粟(あわ)とか、白米が口に入らないような貧しい人々が、その代用品として食べる物というイメージでした。そして、それは栽培種の稗の事だったわけです。と言うことは、野生種つまり雑草の稗も存在するのですね。
私の生まれ育ったあたりは、漁村という分類になるかと思います。日常の生活圏内で田んぼを目にすることはありませんでした。たまに見かける機会があると、「田んぼだ~」とちょっとワクワクしたりしていました。
また、弘前市で暮らすようになってからは、車窓からしばしば見るようになりましたが、「凄いな~、津軽平野だ~、吉幾三の世界だな~」などとボンヤリと眺めるだけでした。なので、今年6月に下の絵を見ても、どういう場面なのか理解できませんでした。
青森市浪岡の「常田健 土蔵のアトリエ美術館」 - おばあさん見習いの日々(ダジャレ付き)
この絵のタイトルは「稗とり」でした。
写真では伝わらないかと思うのですが、実物は画面いっぱいに黄金の光が溢れていて、「実りの秋」そのものなのです。
熟れた稲穂の中で二人の人物が「稗」をとっているのだろうという想像はつきました。
でも、何のために?
稗って手で簡単に折り取れるものなの?
同行の友人に聞いてみましたが、津軽の農村出身の友も「わからない」という事でした。六十になろうかというおばさん二人、お米の国の人なのに、稲作というものが全く分からないのです。ダジャレでは無く、心から「ヒエーッ」と思いました。でも、日が経つうちになんとなく疑問は忘れて行ったのでした・・・。
「良かったら、田んぼの稗取りに来てみない?長靴が必要だけど」
時々林檎のお手伝いに行っている知人からお誘いがありました。私が自分に出来る農作業なら何でもやってみたいと言ったのを覚えていて下さったのです。
「行きます、行きます。長靴は雪掻き用のがあります」
少し頭を垂れ始めた稲の間から、稲よりも背が高く、旺盛な生育を見せているのが雑草の稗です。
稗をとるためには稲の間をゆっくりと歩きながら、手の届く範囲の穂の部分をビュッと引き抜きます。なので、稗取りは「稗引き」という言い方もされるのです。
私は稗取りも初めてですが、実は田んぼに足を入れるのも、生まれて初めての経験なのです。
「中の方に行くと足元もいいんだけど、端の方はズブズブだから気をつけて」
覚悟して、用心して足を入れたのに、三歩目の足が既に抜けない状態!長靴が脱げないよう両手を添えて思い切って引き抜くと、危うく転びそうになり、
「キャー」という年甲斐も無い黄色い(黄土色かな)悲鳴をあげる情けなさ恥ずかしさ。背筋が冷えました。
引いた稗がまるでブーケの様です。手に一杯になったら袋に入れます。
「稗取り」は田んぼの作業の内でも最も手の掛かる重労働なのだそうです。田植えの直後から何回も腰をかがめて稗やその他の雑草を抜きます。それでも抜ききれなかったものや新たに生えてきたものが次々と顔を出してきます。そのため最近は除草剤を使って稲以外の草は生えないようにしてしまう農家が多いそうです。知人はあまり農薬は使わないという方針だそうで、
「こんなこと(稗取り)してるの、今時、うちぐらいだよ」と笑っていました。
今回は稲刈り前の、いよいよ最後の「稗引き」です。稗引きは腰をかがめなくていいのは楽なのですが、猛暑の中の作業なのが辛いところです。
私はずっと疑問に思っていたことがあり、あまりにも初歩的で恥ずかしいと思いながらも、聞かずにはいられませんでした。
私 「あの、今更ですが。この程度の稗でもとってしまうのは、稗がお米に混ざらないようにするためなんですか?」
知人「一番の理由は、稗の種がこぼれないようにするためなんだよね。これだけの稗の種が全部田んぼに落ちたら、来年、大変な事になるもの」
あー、本当に私は何も知らないのだ。「お米には八十八回の手間が・・」とか知ったかぶりして、何にも分かっちゃ居ないんだ。
初めての体験には、実にいろいろな発見や驚きが詰まっているものです。
まだまだ人生の新米だ!つくづく思いました。では。