↓ 広島「平和記念公園」で印象に残った像です。
『嵐の中の母子』
「嵐の中を二人の子供をかばい進む、母親の力強さを表す像」という解説がネットにありました。
私が感じたのは「力強さ」ではなく、「無力さ」と「緊張」でしたね。「嵐の中の」となっていますが、広島や長崎、そして日本全土が経験した戦火の凄まじさは、「嵐」の比ではなく、到底、個人の力で太刀打ちできるようなものではありませんでした。ましてや、乳飲み子と幼児、二人の子を抱えた若い母親はあまりにも非力です。巨大な「暴力」の前では「祈り」や「願い」など木っ端みじんに吹き飛ばされてしまいます。
広島の惨禍を知っている目でこの母子の像を見るとき、胸塞がる思いで、人間の「無力さ」に思いが至ってしまうのです。
「緊張」をかんじるのは、母の背中に縋ろうとする、上の子の姿です。縋ろうとしているのか、今まさに滑り落ちようとしているのか・・・。左手一本で、どうして子供一人支え切れましょう・・・。一人で子供二人を守ろうとする母親の必死さが、痛々しく胸に刺さります。
話は変わりますが、亡き母(昭和5年生まれ)から聞いた、戦時中のエピソードを紹介します。
「津軽海峡は軍艦が通ったから、空襲も凄かった。空襲警報が出ると、裏山に作った小屋に皆で逃げる。海に向かって撃ってる弾でも、音は頭の上でなるから、我先にと毛布をかぶるんだ。そうなれば、親も子もない、とにかく自分の頭を隠すので精一杯さ。」
この話を聞いたとき、命がかかれば親も子もない、ああ、そうだろうな、と思いました。
「戦場では、人は人でなくなる」といったセリフは、小説や映画にしばしば登場しますが、「銃後でも、非常時には人は人でなくなる」ものだと容易に想像がつきます。
人が人でいられる、平和のありがたさはそこに尽きるのかもしれません。若者が(あるいは若くない者も)理想を語っていられる、そんな日本であって欲しいと思います。
※今日はダジャレは自粛(私が私らしくないけど)