おばあさん見習いの日々(ダジャレ付き)

1961年生まれ。丑年。口癖は「もう!」

炎天下、自転車を漕ぐ

 数日前、誕生日を迎えた私。60歳、になりました。

 そして、友達から嬉しいお申し出がありました。

 「takakotakakoちゃん、前にヒロヤの桃のタルトが食べてみたいって言ってたでしょ。凄く美味しいから、お誕生祝いにおごってあげる」

 勿論、謹んでお受け致しました。

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 手前が私がいただいた「桃のタルト」、奥がお友達の「桃のゼリー」。どちらも生の桃を丸ごと一個使った、大変贅沢で、勿論、とっても美味しいお品です。還暦早々、嬉しいなあ、ハッピーだなあ。そう思ったのが、一昨日のことです。

 昨日午後、弘前公園ウオーキングに行きました。日盛りはあまりに暑いので、ちょっと遅めのウオーキングでした。公園までは車で行き、公園の近くの「藤田記念庭園」駐車場に駐めました。一人暮らしの気楽さで、時間を気にすることもなくブラブラ歩き、さてそろそろ帰りましょうかね。

 あれっ、駐車場入り口にチェーンのようなものが・・・。近づいてみると、紛れもなくチェーン。傍らの看板には「駐車場は9時から5時まで。5時以降は車は出せません」という非情な文字が。そんなあ、時間よ戻れ、チェーンよ戻れ、「チェーン、カムバッ~ク」なんてダジャレを言ってる場合じゃ無い。

 気を落ち着けて考えてみました。

 大丈夫。明日は特に予定無し。歩いて帰れない距離じゃ無い。この駐車場は無料で、駐車料金は発生しないはず。明日、歩いてとりに来れば解決。そう考え、気を取り直し、歩いて帰ることにしました。実際、歩くことは嫌いではないのでいいのですが、問題は暑さ。途中で飲み物を買って水分補給をし、ダラダラダラダラ、40分ほどかけて帰り着きました。それでも、一度もタクシー利用という考えが浮かばないのですから、貧乏性と言いますか節約魂と言いますか、我ながらある意味、大したものです。

 そうやって、歩きながらつらつら考えたことは「60にもなって、情けないなあ」と言うことでした。駐車場は何時までなのか、なぜそこに考えが全く及ばないのか。自分の間抜けさ加減が嫌になりつつ、それでいて持ち前の立ち直りの速さも発揮し、思ったのです。

 禍福はあざなえる縄のごとし、いいこともあれば悪いことも有るさ。美味しい桃のタルトにありついてラッキー、今日の失敗で五分五分。人生、これぐらいでいいのかも。

 

 そして今日。

 予定では朝のうちに歩いて車をとりに行くつもりでした。少しでも涼しいうちにと。ところが、朝から暑い。朝の涼しさなんて無い。グズグズと出発をためらっているうちに、お昼過ぎに。どうしよう、どうしよう、夕方まで待ったって、暑いのは変わらない。あれこれと考えを巡らして辿り着いたのは、「そうだ自転車で行こう、そしてランチも食べてこよう」という案でした。

 車に自転車が積めるかどうかは賭けですが、大丈夫なはず。前に息子の自転車を積んだことがあるもの。ただ、それがいつだったか、息子が小学生の時だったか高校生になってからだったか・・・。でも、私の自転車は少し小振りなのでなんとかなるさ、そう自分に言い聞かせ、真昼の炎天下、私は自転車を漕いだのでした。

 結果はバッチリでした。

 まず駐車場に行き、自転車積み込み。ギリギリおさまりました。安心したところで藤田記念庭園のカフェへ。炎天下の自転車の後で、エアコンのきいた室内から美しい庭園を眺めつつ頂くチキンカレーの美味しさ。汗を流したからこそ味わえる、格別の美味しさでした。

 諺で、「楽あれば苦あり、苦あれば楽あり」と言いますが、それは心の持ちようを言っているのだと思います。「楽」におごらず、「苦」に腐らず、そんな風な心持ちが大事だと教えているのでしょう。還暦を迎え、「前期高齢者」と呼ばれるまであと五年、前向きに生きていきたいものだと改めて思いました。

 誕生日を迎えて「加齢」した私ですが、カレーを食べながらこんな事を考えたという、昨日からの顛末なのです。では。

小人閑居(しょうじんかんきょ)して、とか

 今日の昼過ぎ、暇だなーなどと思いつつテレビをつけましたら、『サザエさん』が始まったところでした。(青森県では土曜のお昼のようです。いつの間に?私もビックリ)

 「相変わらず食い意地の張った姉弟だなあ」などと思いつつ、ダラダラと最後までみてしまいました。エンディングにも二コマ漫画のような小ネタがいくつかあるのですが、その内の一つに、サングラスをかけた人に挨拶されるも、誰だか分からないというトピックがありました。サングラスをかけた強面のおじさんが大きな声で挨拶するのですが、エンディング曲がかかっているので、吹き出しに文字を書いて表現されるのです。

 「こんにちわ」と。

 あれっと思いました。間違ってるよね。正しくは「こんにち」ですよね。これは子供の教育上宜しくない、テレビ局に教えてあげるべきでは、そう思いつつ念の為ネットで調べてみました。

 どうもですね、ネットの説明によりますと、正しいのは「は」の方なのですが、100%とは言い切れない部分もあるらしいのです。正式な場面や年長者に対しては「は」を使うべきなのですが、いわゆる若者言葉や言葉遊び的な場面(コンニチワワとか)では、「わ」も普通に流通しているということなのです。

 言葉は生き物ですからね。時代と共に形を変える物であり、変化の原因の一つに誤用が市民権を得るということもありますものね。あまり大きな声で間違いとは言い切れないと思いました。

 それにしても、今回一番驚いたのは、自分自身についてです。よくテレビ局に言葉の使い方についてクレームが寄せられたというような事を聞きますが、今までの私はそういう話に、「暇な人もいるものだ」といった感想を持っていたのです。暇で他にすることがないから、重箱のスミをつつくようなことをして楽しんでいるのだろうと、そんな風に思っていました。

 それがまあ何という事、行動にこそ移さなかったものの、そんな私に「これはテレビ局に文句を言わなきゃ」という発想が浮かんだのですよ。

 「小人閑居して不善をなす」とは、つまらない人間が暇でいるとろくな事をしない、という意味ですが、その通りです。もうちょっと何かしなきゃ、ちょっと焦ったのでした。

 自分で自分に活を入れなきゃ、カツヲ。そう思いましたよ。サザエさんだけに。では。

扇風機

 暑いですね。それなのに編み物熱が高まってしまい、扇風機の風を受けながら、毛糸と戯れています。手に汗をかいてしまうのが困るところです。

 扇風機と言えば、「寝るときに扇風機をつけっぱなしにすると、死ぬことがある」という話は聞いたことがあるでしょう?どうやらその話はただの都市伝説らしいのですが、どこからそんな話が生まれたのかなあと思い、ちょっと調べてみたんです。

 

 どこから生まれた話なのか、その点は今一つはっきりしなかったのですが、「なぜ死ぬのか」について、面白い発見がありました。

 私は今でこそ、「扇風機つけっぱなしは死ぬ」というのはデタラメだと知っていますが、昔は本気にしていて、しかもその理由は「低体温」だろうと勝手に納得していたのです。今回ネットで調べてみて、「死ぬ原因」について別な説があったのを知りました。

 それは韓国が起源の説で、締め切った部屋で扇風機をつけっぱなしにすると、窒息してしまうというものでした。ちょっと笑ってしまいました。自分もなんの根拠も無く「低体温」説を信じ込んでいて、「窒息」説と五十歩百歩なのですが、人は自分の事は棚に上げがちなものですね。

 

 ただ、扇風機で死ぬと言うことはないにしろ、体を冷やすことは健康上問題があるというのは、これは疑問の余地の無い事です。ですので、私の実体験を紹介し、扇風機についても少し警鐘を鳴らしたいと思います。

 かなり前の事になりますが、あまりにも暑い日だったので、私は大きい保冷剤をタオルで巻いて枕にし、昼寝を楽しんだのでした。夜になってシャワーを使い、シャンプーをしようとして気がついたのです。「首が曲がらない、下を向くことが出来ない」と。これは大変!原因は冷やしすぎ、それしかない。あわててシャワーの温度を熱めにし、じっくりと首を温めました。その処置が功を奏したのか幸い大事には至らず、翌日には治ったのですが、恐ろしい経験でした。冷やしすぎは不調の元を実感しました。

 また、息子その1が中学生の時だったのですが、次の様な話を教えてくれました。

 「今日、OBの○○先輩が部活に来たんだけど、顔の半分が固まってるんだよね。先輩が言うには、扇風機をつけっぱなしで寝て、朝起きたら、顔半分が麻痺してたんだって。何日か前のことらしいんだけど、まだ治らないって」

 それ以来、超暑がりの息子でしたが、扇風機はタイマーをセットするようになりました。

 怖い話ですよね。皆さん、冷やしすぎにはくれぐれも注意しましょうね。この話は、扇風機とは言え、決して「煽り」ではありませんからね。では。

ダイヤモンドと鉛筆

 昨夜、NHKBSプレミアムで『刑事コロンボ』をみました。その中でコロンボが容疑者に向かって言った次のセリフに、「えっ」とビックリ仰天。

 「あなたはダイヤモンドは燃えないと知っていた。だから遺体の喉にダイヤを押し込み、火葬した。そして、灰の中からダイヤを回収した」

 嘘でしょう!ダイヤは燃えるって、ずっと昔から私はそう信じ込んできたもの。ダイヤは炭素の同素体だもの、燃えるものでしょう!これはドラマが終わったらネットで調べなくちゃ。

 と言うことで、ネットで調べた結果を書きつつ、更にWikipediaで拾った私的面白ネタも紹介したいと思います。

 

 まず、ちょっと知ったかぶりをして「同素体」なんて言葉をさらりと使いましたが、そこから説明したいと思います。

 同素体とは、同じ元素からなる物質でも、原子の結合などが異なるために、性質が異なっているという「単体」(単一の元素から出来ているもの)の事です。黄リンと赤リンとか、酸素とオゾンとか。そして、炭素もまたいくつかの同素体を持っていて、ダイヤモンドや黒鉛(鉛筆の芯ですね)はよく知られた同素体です。

 ダイヤモンドが燃えると私が信じ込んでいたのは、子供の頃に何かで読むか聞くかしたからだと思います。炭素の「炭」は石炭の「炭」であり、訓読みでは「すみ」。これはもう燃えるものの代表と言ってもいいでしょう。その炭素100%でダイヤモンドは出来ているのですから、燃えると信じ込むのは当然の事でしょう。

 さて、ネットで調べた結果を書きます。

 ダイヤモンドは燃えます。ただし、そのためには相当な高温が必要で、およそ800℃以上と書かれていました。そして、火葬はだいたい1000℃前後の高温になるということなので、遺体が灰になった後にダイヤモンドが焼け残っていることはまず不可能なようです。仮に、何らかの偶然が働いて温度が上昇せずに焼け残っていたとしても、かなりの高温にさらされたダイヤモンドは変色してしまうので、その価値は失われてしまうということになるようです。

 よく「ダイヤモンドは永遠の輝き」というフレーズを耳にしますが、それはダイヤモンドの硬さからの連想で有り、さすがのダイヤも炎には勝てないのです。大きなダイヤをお持ちの方がいらっしゃいましたら、火事にはくれぐれもご用心。

 それにしても、『刑事コロンボ』の制作陣はもう少し慎重に脚本を作られては、と思いましたね。

 

 もう一つの面白ネタというのは、Wikipediaの「黒鉛」から「鉛筆」にとんで知ったものです。

 鉛筆の削り方に「貧乏削り」「泥棒削り」と呼ばれるものがあるそうです。皆さんはご存じでしたか。私は知りませんでした。

 

貧乏削り・泥棒削り[編集]

両端を削ることを地方によっては貧乏削り・泥棒削りと呼ぶ。前述したように、鉛筆は複数本用意するのが基本だが、鉛筆の両端を削れば2本分として使える。これを貧乏削りと揶揄する。貧乏削りは有効利用できる長さが短くなり不経済な使用法でもある。

学用品としての鉛筆は、削らない側の端部の一面の塗装を薄く削ぎ、露出させた木地面に氏名などを書くことがよく行われた。この記名は、盗んだ鉛筆を「貧乏削り」すれば違和感なく削り落とすことができる。そこで、そのような窃盗の証拠隠滅が疑われる使い方を、「泥棒削り」と揶揄した。  

                      Wikipediaより

 

 これはつまり、「貧しい時代の日本」の子供の生活を語っていると思うのです。鉛筆を何本も買って貰えない家の子は、1本を2本分として学校に持っていく。中には欲しくて欲しくて、級友の鉛筆を盗ってしまう子もいたでしょう。確かにそういう時代があったなあ。昭和36年に青森県の端っこに生まれた私は実感として分かる気がします。と同時に、そういう胸が苦しくなるような「貧困」は過去の事だとも思っていたのです、この日本という国においては。

 ところがどうでしょう。ご飯が満足に食べられない子供、そして生理用品にも事欠く女性達がいるという現実。それでいながら、皆が普通の格好をして、ゲーム機やスマホは持っていたりするのでしょう。何が間違っているのか、どこで間違ってしまったのか。右肩上がりの昭和を生きてきた身としては、今のこの現実があの頃の未来なんて、情けない事ですが全く理解が及ばない状況です。

 あの頃、ダイヤモンドのように華やかに輝きを誇った日本。そしてバブルの熱に浮かされた後に残ったのは、高熱にさらされたダイヤのように、なんだか色あせた今の日本なのかなと、そんな事を思いました。では。

 

麻酔が覚めた後

 タイトルでビックリされた方がいらっしゃいましたら、ご免なさい。私の事ではありませんので。

 昨日の拙ブログにて、「津軽じゃんけん」の説明をしました。戦前の津軽地方ではじゃんけんの勝ち負けが逆だったそうで、そのため、一定年齢以上の津軽人は、じゃんけんの勝ち負けの判断に戸惑うことがあると言うことでした。

 昨日、体操教室で、「手と脚じゃんけん」をしながらこう思ったのです。

 「この体操は”頭の働きの衰え具合”を測るものでもあるのだろうな。私が間違うのは、純粋な”衰え”によるものだけれど、根っからの津軽人は不本意なんじゃないかな。間違うのは年のせいではなくて、”津軽じゃんけん”のせいだって」

 そんな事を考えながら手と脚を動かしていたとき、30年も前に知人から聞いた話が思い出されたのでした。「不本意」繋がりの連想でした。長い間眠っていた記憶がよみがえったのは、やっぱり体操の効き目でしょうかね・・・。

 

思い出した話 その1

 知人のお母様が脳出血で手術を受けられ、無事麻酔から覚めたときの事だそうです。お医者様が記憶を確かめるために、いくつか質問をしたそうです。名前とか住所とか生年月日とか。お母様は質問の意図も分かったようで、いつも以上にハキハキとした口調で答えていたそうです。

 お医者様の質問は続きました。「市長さんの名前は?」するとお母様は非常に焦った様子で訴えたそうです。

 「分からないけど、今分からなくなったんじゃないの。最初から覚えてないの!」

 この話は何人かで聞いていたのですが、皆で「市長の名前は覚えておこう」と深く心に刻んだのでした。

 

思い出した話 その2

 誰から聞いたのか、いつ聞いたのかも定かではないのですが、やはり麻酔から覚めた後の患者と医者のやりとりです。患者は無愛想なおじさんを想定して下さい。

 いくつかの質問に続いて、お医者様が「奥さんの名前は?」と尋ねました。そのおじさんはぶっきらぼうに言ったそうです。

 「呼んだことねえ」

 

 ちょっと、萌え。これがホントの「ヤンデレ」ってやつですかね。では。

ヤンデレとは(Wikipediaより抜粋)

 「病んでる」と「デレ」の合成語であり、広義には、精神的に病んだ状態にありつつ他のキャラクターに愛情を表現する様子を指す。

 

津軽のじゃんけん

 町内会で月に一度行われている、健康作りのための「体操教室」。行ってきました。70代・80代に立ち交じり、置かれた場所で華麗に咲き誇ってきましたよ。(今、パソコンで「かれい」と打って変換したら、一発目に出たのは「加齢」。私のパソコンも置かれた場所で頑張っていると言うことでしょうか)

 今日は、体と頭の両方の運動と言うことで、椅子に座って「自分の手と脚でじゃんけん」というのを教わりました。

 まず、右手でグー・チョキ・パーを自分の好きな順に出します。脚は、膝をそろえた状態がグー、左右に開いてパー、前後に開けばチョキなのですが、常に右手が勝つように、出来るだけ同時に出すようにします。これを十回行います。さて、次が難しい。

 今度は左手ですが、脚は先とは変わって、(脚が)勝つように出すのです。なかなか難しくてですね、それまでちょっと斜に構えたところがあった私だったのですが、本気で取り組んでいました。そして、本気で取り組んだ成果でしょうか、ある記憶がよみがえったのでした。

 何十年も前に夫から聞いたことがあるのですが、昔津軽のじゃんけんは、今とは勝ち負けが逆だったそうなのです。なので、昔子供だった人達(60代以上ぐらいでしょうか)は、じゃんけんの勝ち負けの判断が、とっさにはつかないことがあるのだ、ということでした。

 「この人は一体、何の言い訳をしているのだろう?」

 夫の言っていることが良く理解できないままその場は軽く流し、そしてその後、その話題が出ることはありませんでした。ところが、不思議ですよね~、やっぱり体操が効いたんでしょうかねえ。私は好奇心が抑えられず、隣のご婦人に聞いてみたのです。

 「あのう、昔津軽では、じゃんけんの勝ち負けが逆だったって聞いたことがあるんですが」

 「私達子供の頃ねえ、そうなのよ。だから時々わかんなくなるんだって(笑)」

 これは面白い!帰宅したら調べてみよう、そう考えつつ残りのプログラムを順調に消化し、「会館」で咲き誇った私なのでした。ああ、快感。

 

 家に帰って調べました。

 確かに戦前の津軽では、じゃんけんは グー < チョキ < パー < グー の順に強くなっていき、「津軽拳」という呼び名もあるそうなのです。そして、ネットでヒットしたあちらこちらからの情報によりますと、

 グー(握りこぶし)=にぎり(飯)=米=農民、武士には負ける

 チョキ(人差し指を突き出す)=槍=武士、公家には負ける

 パー(手のひらを広げる)=風呂敷またはひら=笏(しゃく)=公家、(米を作れないので)農民には負ける

 という論理なのでした。「にぎり」・「やり」・「風呂敷」「ひら」というのは、グー・チョキ・パーではなく、そういう呼称であったということです。ネットで拾った説明では、握り飯の農民と槍の武士は想像がつくが、風呂敷・ひらがなぜ笏、つまり公家を表すのか、そこは謎だということでした。

 ところが、なんと言うことでしょう!やっぱり体操の効き目でしょうか、私はその謎の答えがひらめいたのです。

 あくまで私の推量に過ぎないのですが、パーが公家を表すのは「風呂敷」の方ではなく、「ひら」だと思うのです。そして、手のひらの「ひら」は、津軽弁で「しゃもじ」を表す「ひら(ままひら)」と同音異義語なのです。

 ほら、皆さんも「ああ」と思われたでしょう。しゃもじから「笏」を連想するのは、これはもう日本人のDNAと言っても過言ではないでしょう。なんの証拠も無い思いつきなのですが、私は強~い自信を持って書いています。その自信満々な態度が癪に障るなどとおっしゃらず、賛同して頂ければ嬉しいです。

 そして、もう一つ。ずっと疑問に思っていたじゃんけんの謎も解けた気がするのです。

 皆さんはチョキを出すときは、人差し指と中指を立てた、いわゆるVサイン型で出すと思うのですが、年配の方や、あるいは「おばあちゃん子」とか、親指と人差し指のピストル型(命名 私)のチョキを見たことはないですか?なんでそう言う風に出す人がいるのかなあって、漠然と不思議に思っていたんですよね。津軽拳の「武士」の説明で分かりました。「槍」は人差し指一本を突き出せば足りるわけですが、握りこぶしから人差し指を出すには、同時に親指も出す方がスムーズだった、そんなところだったのではないでしょうか。正解なのか間違っているのかは分かりませんが、自分の心持ちとしてはかなりスッキリしています。

 ところで、皆さんはじゃんけんの際には「じゃんけんポン」という掛け声でしょうか。私は今は「じゃんけんポン」です。でも、子供の頃、私の故郷では「じゃんけんキッ」だったんですよ。小学生の時、津軽出身の先生に「キッって、何?」と笑いながら聞かれたことを覚えています。そしてその時から「キッってなんだろう」という疑問を頭の片隅に抱えているのです。いつか、例え独りよがりであったとしても、解決できる日は来るでしょうか。来る、いつかキッと来る、そう信じて楽しみに待ちたいと思います。では。

世の中の流れが速い

 少し前の事ですが、年金についての封書が届きました。「手続きが必要です」というお知らせで、ご不明な点がありましたら、下記の年金事務所にお問い合わせ下さいという事でした。ちょっと聞きたいことがあり、早速お電話しました。

 音声案内に従って番号を押し、しばらく待っていると担当の男性職員に繋がりました。対応はスムーズに進み、私の知りたかった疑問点は解消されました。感心したのはその職員の方の口調・言い回しの柔らかさ、丁寧さ。本当に最近の公務員の対応は親切ですよね。市役所の窓口等でも感じます。昔はこうじゃなかったと思うんですよね。

 意識の向上といった事もあるのでしょうが、「クレーマー」と言われる困った存在も一役かっていると思われます。難癖つけられないよう丁寧に丁寧、自衛手段としての「親切さ」でもあるのでしょう。

 

 私の住む弘前市では、7日から60歳から64歳までのコロナワクチン接種予約が始まる予定でした。ところが、前日のニュースでワクチン不足から予約ではなく、「仮予約」という制度になると伝えられたのでした。私は7日はちょっとバタバタしていて、8日になって予約の電話を入れてみました。結果は3つの病院で断られ、そこで諦めたという状況です。

 「当院では仮予約もお受けしていなくて・・・」と断られるのですが、その口調の申し訳なさそうなこと。

 「ああ、きっと電話口でキレたり、文句たらたらだったり、そういう人がいるんだろうな。相手を怒らせないよう、気に障ることがないよう、気を遣って気を遣って応対しているんだろう」そう思いました。

 それで無くても医療従事者は大変な思いをしているというのに、自分達のせいでもないことでこんなに苦労して。私の勝手な想像ではありますが、本当に気の毒だと思いました。と同時に、めまぐるしく変わる世の中の状況に見事に順応しているものだと、働く人の臨機応変ぶりに改めて思いを致したのでした。

 

 さて、昨日のことです。久しぶりに銀行に行きました。青森銀行某支店です。番号札を取るやいなや私の番でした。カウンターにいってビックリ。椅子がないのです。こちらは立ったままで要件を告げます。しきり板の向こうの行員さんは、事務作業は座ってするのですが、お客と応対する時は立ち上がるという形態です。

 最初は面食らったものの、要件を告げるのなんて、1,2分の事です。椅子に座って、立ち上がって、その時間の方が多くかかるようなものです。そして、その時間はロスタイムというものであり、積もり積もればお客の回転率に影響することにもなるのでしょう。

 経験してみれば、「銀行のカウンターでは立ったまま」というのはどうと言うこともない事です。でも、結構な発想の転換が必要な事だったのではないかと想像するのです。椅子に座るのが当たり前すぎるほど当たり前だったのですから。

 本当に世の中凄いスピードで変わって行きますね。私は衝撃を受けましたよ。まるで、ボクシングでカウンターを食らったかのように。銀行だけにね。では。