おばあさん見習いの日々(ダジャレ付き)

1961年生まれ。丑年。口癖は「もう!」

「黒糖蒸しパン」リベンジ

 ひょっとしたら「思い出補正」というものかもしれないが、私はうっかりミスや不注意による失敗といったものの少ない人生を送ってきたと思う。何年か前までは。

 さすがに、「私、失敗しないので」と言い切るまでの自信家ではなかったが、まあ、それなりに自負もあったので、「注意力の無い人」に対しては、厳しい目を向けがちだったと思う。例えば夫とか、夫とか、夫とか・・・。

 ところが、加齢による視力と理解力と記憶力との衰えのせいなのだと思うが、最近は目に見えて(目は良く見えなくなってきているというのに)ミスが増えてしまった。

 

 先日、Youtubeでみた「黒糖蒸しパン」を作った。好物というのではないが、随分前に買った黒糖を使いたいと思ったし、簡単に作れそうだったので。

 結果は思った通り簡単に出来、レシピでは黒ごまを上に振りかけていたのを手持ちの白ごまにアレンジしたところ、見た目も上品でいい感じ。美味しそう~。

 早速一口つまんだところ、「えっ」、しょっぱいんですけど。コメント欄には「美味しいです」の声が多数だったのに、皆さん、これが美味しいの?塩味がきつすぎて、どぎつい味じゃ無い?そんな事を思いながら、何気なくレシピを見直してみると、塩、小さじ1/4とある!

 うっそ~、小さじ1じゃないの~!?

 そりゃあしょっぱいはず。4倍もお塩がはいったのだもの。スマホ画面は老眼には厳しいのよ・・・。それにしても、なんとも思わず小さじ一杯の塩を入れた事も残念。変だな~?と気付けよ自分。

 そして今日。二度目の黒糖蒸しパンに挑戦。

 なんだかな~、苦味を感じる気がする。ベーキングパウダーが多かったのかな?それと、見た目も良くない。今回はレシピ通りの黒ごまで、しかも、「お好きなだけ振って下さい」とあったので、気前よくたっぷり振った。さすがに物には限度という物がある。振りすぎて美しくない。なので、この記事には写真も無し。リベンジのリベンジに成功のあかつきには、写真入りで報告したいものだ。

 

 普段の生活で失敗することが増えたり、物覚えが悪くなって同じ事を何度も聞いたり。こうやって、周りに助けられたり迷惑を許して貰ったりしながら生きていくことが、つまりは年をとっていくということなのだろう。勿論、困ったことだとは思うのだが、一面いいこともある。それは他者に寛容になると言うことだ。

 「そうよね、忘れるわよね」

 「失敗は、あるある」

 我が身を振り返れば、どうしたって他者を許さざるを得ないわけで、こうして「優しいお婆さんへの道」を歩いて行けるようになるのかもね。

 とは言え、あまりにミスが多いのも考え物なので、もうちょっと気を引き締めるべきだろう。ミスが多すぎると、昔のことまで蒸し返されたりするものだからね。では。

今日、包丁研ぎ器とキュウリを買った

 弘前市イトーヨーカドーはとても大きいのですが、昨年末に大幅リニューアルをして、1階にはフロア面積の多くを占める『無印良品』と、そこそこの広さの『Loft』が出現したのです。

 今日、食料品を買うために久しぶり(本当に久しぶり)にイトーヨーカドーに行き、不要不急ではありましたが、『無印良品』と『Loft』をうろつきました。

 結果、『Loft』で包丁研ぎ器を買ったのです。

 

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 こちらの商品で、税込み1,408円でした。お店のお薦めのコーナーにあって、いかにも良さそうな感じ。私はステンレス製の包丁を使っていて、時々研ぎにだしているのですが、すぐ切れ味が悪くなるのです。

 「研ぎに出せば1回、500円。これがあれば、いつでも研ぎ立ての切れ味が手に入る」

 最近の物欲の高まり(つまりは、なんだかお金が使いたくなっているのです)もあり、そして、マイルール(持っていない物を買う場合は、ちゃんと置き場所はあるのか)にも合格し、購入を決めました。ちゃんと考えたので衝動買いではないのです。

 食料品売り場では、キュウリが目につきました。8本入りで246円。安いな~と思い産地を確認すると、宮崎県産。本当に日本は南北に長いんだーと実感しますね。青森県は雪の中ですが、九州ではキュウリが収穫期を迎えているのですね、勿論、ハウス栽培だとは思いますが。

 昨夏、Youtubeを参考に「キュウリの佃煮」なる物に初挑戦したところ、凄く美味しく出来て、すっかりお気に入りになったのでした。このキュウリであれを作ろう。安いキュウリを沢山、切れ味のいい包丁でスパスパ切る。料理好きとは言えない私ですが、ちょっと楽しみになりました。

 帰宅して早速包丁を研いでみました。ゴリゴリっという手応えがあります。研げている感じがします。どれどれ。キュウリを切ってみたところ、おー、切れる切れる。切れ味のいい刃物を使うのは本当に気持ちのいいものです。とりあえずキュウリ6本を佃煮にすることにしました。美味しく出来るといいなー。いくら切れ味のいい包丁でも、味の保証まではしてくれません、そこはやっぱり腕次第ですね。

 

 さて、最後、ダジャレで締めようと思うのですが、思いつきません。煮詰まっている感じです。佃煮だけに。研ぎ立ての包丁のように切れ味バッチリとは行かない、今日のブログなのです。では。

ひょんな事から『だんだら』

 先日のセーターをほどくという記事に、ブックマークでコメントを寄せて頂きました。

 「昔、母がほどいていたのを覚えている。ほどいた毛糸で手袋を編んでくれたような気もするが、糸の太さが違うので記憶違いかも知れない」

 

 とてもほのぼのとした気持ちになりました。

 セーターをほどくお母さんのお姿が記憶にあると言うこと、それが手袋に生まれ変わった事をなんとなく覚えていると言うこと、わかるなーって思って、見ず知らずの方なのに、同時代を生きていると思い出って共有できるんだなーって、そんな嬉しい気持ちになったのです。

 そして、もう一点。ああ、この方は「男の子」だったんだなー、と言うのも面白い発見だったのです。

 この方の認識の通り、昔のセーターは中細(ちゅうぼそ)程度の細めの糸で編まれているのが一般的でした。対して、手袋は太めの糸で厚く編まれていたはずです。昔の女の子であれば、毛糸は1本で編まれることもあれば、2本どり、3本どりと、ちょうど良い太さになるよう組み合わせて使われると知っていたと思うのです。例外も認めます。

 特に、古毛糸の場合、糸が弱っていたり量的に足りなかったりして、他の毛糸や時には奮発した新しい毛糸と、取り合わせて使われることが多かったと思います。ウチの夫も子供の頃、母親の手編みのセーターを良く着たそうで、次のように言っていました。

 「母親の編むセーターはいろんな糸を交ぜて編むから、いつも似たような色合いのグレー系になるんだよね」

 そして、私も自分の経験に照らして付け加えました。

 「わかる。そして、複雑な模様は出来ないから、糸が足りないときは、だんだら縞にするんだよね」

 

 さて、ここから今日のタイトルの『だんだら』について書いていきます。

 皆さんは「だんだら」あるいは「だんだら縞」という言葉はどういう意味でお使いですか?私は等間隔で並んでいる横縞のことをその様に呼びます。そして、それは正しい使い方なのです。ところが、今の若い人達の使い方は違っているらしいのです。

 新撰組の例の浅黄色の隊服、あの袖口に並んだ三角の連なり、あれを「だんだら模様」と言い、若い人にとっては「だんだら」と言えばそちらの方が一般的らしいのです。

 この事は『だんだら』についてネットで調べて知り、とても驚いたのですが、同時に更なる驚きの『だんだら』の存在も知ることになったのです。

 

ja.wikipedia.org

 

 段駄羅とは石川県の輪島塗職人の間に伝わった、五七五の短詩型の言葉遊びだそうです。「中七」に言葉のもじりを入れて二重に意味を持たせるという、とても高度なお遊びで、職人仕事の片手間に楽しんでいたなんて!ビックリです。

 一例を私の説明付きで紹介しますね。

 「さあ戦 兜をかぶり 高騰し」

  戦を前に、兜をかぶり気持ちが昂ぶっている、という状況でしょう。高騰という語がちょっと不自然ですが、そのワケは、

 「さあ戦、株、十日ぶり 高騰し」

 と、かけるためなのです。良く思いつきますよね。本当に感心しました。

 Wikipediaにはこんな例句がたくさん紹介されていますので、皆さん是非お読みになってみて下さい。

 それにしても、漆塗職人の皆さんも、いい段駄羅が出来たときは、とっても「うるしー」気持ちになったことでしょうね。では。

昭和っぽい暮らし

 編み物を趣味としている私ですが、出来ることならあまりお金をかけずに楽しみたいと思っています。編み物で一番お金がかかるのはなんと言っても毛糸代ですが、逆に最もお金をかけずに済ませることが出来るのも又、毛糸代なのです。なぜなら、毛糸はほどいて再利用、つまり「編み直し」が出来るからです。昭和の頃、母親が古いセーターをほどいていたという記憶をお持ちの方も沢山いらっしゃるかと思います。私のブログの読者なら・・・。

 

 古いセーターをほどいて再利用と、書くのは簡単ですが、結構手間がかかります。一番の難所は、クネクネと癖の付いた毛糸をまっすぐに戻すという作業でしょうか。実母は「毛糸ふかし」と呼んでいた道具でやっていました。ヤカンのような形をしたもので、口の所には毛糸を通すための小さい穴があいています。中に水を入れ、ストーブの上に置きますと、やがて蒸気が出始めます。その蒸気に十分当たるようゆっくり毛糸を引き出しますと、「縮れ麺」のようだった古毛糸が、そこそこ真っ直ぐに伸びて現れるという仕組みです。その光景を目にしていた私は、古い毛糸はその様にして伸ばす物だと固く思い込んでいました。

 ところが、姑のやり方は違っていました。ほどいた毛糸は「輪」の状態に巻き(カセですね)、輪の形が崩れないように何カ所かを結んで置いて、ぬるま湯で洗うのです。水気を取って干すという、洗濯と同じ工程を経てすっかり乾いた古毛糸は、十分に伸びて再びの利用が可能な状態になっているのでした。固定観念が破られた私は、非常に驚かされ、かつ感心したのを覚えています。

 

 しばらく前に、「玉巻き器」と「かせくり器」を買ったという記事を書きました。届いてすぐに、「かせ」で買った毛糸と「玉」の状態に巻かれた古い毛糸を綺麗に巻き直しました。とても楽しい作業です。目に見えて作業がすすむのが性に合っているし、出来上がりが綺麗で、毛糸がすっきりと片付くのも嬉しい。

 そして、一通り手持ちの毛糸の整理がついたところで、かねてからの計画に着手です。

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 こちらのセーターは、色がとっても気に入って何年か前に買った物です。袖が短いことに気付かれましたでしょうか?縮んだのではありません。その頃流行った「七分袖」のデザインなのです。好きな色なのに、買ってからほとんど着ていません。なぜなら、腕が寒いから。夏炉冬扇という言葉がありますが、「七分袖セーター」はまさにそれ。気付かないものですね、青森県の冬に「七分袖セーター」なんてあり得ないと言うことに・・・。

 寒くて出番の無いセーター、でも勿体なくて処分できない、いつか着るかも。そう思い続けて来ましたが、ここに来て素晴らしい事を思いついたのです。着ないセーターはほどいて編み直しに使おうと。タンスも片付く、趣味もお金をかけずに楽しめると一石二鳥。

 ここで重要なのは、セーターの脇の部分がロックミシンでかがられていないことです。そのタイプの場合、毛糸は裁断されてしまっていて、ほどいても「糸」の状態にもどらないのです。ここが昭和には無かった点ですね。昔のものは手編みと同じように「とじ・はぎ」されていましたから。

 問題のセーターを裏返して確認したところ、機械で綴じられてはいたものの、裁断はされておらず、ほどけそうです。よし!と、張り切ってとりかかり、かなり苦戦はしたものの、無事に「糸」の状態に。お湯に通して縮れを直した後は、楽しい「巻き巻きタイム」です。

 

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 テレビをみながら手を動かし、あっという間にセーター1枚が5個の糸玉に生まれ変わりました。ただ、今は編みかけのものもありますし、他にも在庫を抱えている身なので、この糸に取り掛かるのはまだまだ先のことになりそうです。それでも、手許に好きな色の毛糸があるというのは、ワクワクします。何を編もうか想像が膨らむのです。では。

 (なんだか終わり方があっけないのですが、長くなったので、最後は「巻き」で。笑)

賞味する・しないは、私が決めます

 断捨離に励もうと思い立って幾年月。最近やっとエンジンがかかったかな?という所まできた感じです。少しずつですが、捨て始めました。

 最近の私は、捨てるモチベーションをあげるために、Youtubeの「片付け」動画をよく見ています。プロの片付けの実際から普通の人の奮闘ぶりまで、感心するほどたくさんの動画がありますね。

 特にプロの業者が、いわゆる「ゴミ屋敷」と呼ばれるような家を、一軒丸ごと片付けていくのは凄いですよ。そのスピードもさることながら、ウンザリするような汚屋敷(おやしき)を、嫌がる様子も無く溌剌と片付けていく様は、お仕事とは言え頭の下がる思いです。

 そして、気付いたのですが、そう言った「ゴミ屋敷」とまでなったような家や部屋に共通するのは、明らかな「ゴミ」までも捨てられること無く、堆積していると言う点です。ペットボトル、空のお弁当容器、宅配ピザの箱、ティッシュペーパー、等々・・・。 

 「なんで捨てないの?ゴミぐらい、さっさと捨てればいいのに」

 動画を見ながらそう思っていた私ですが、ある時、ハッと気付いたのです。

 「同じだ。私もこのゴミ屋敷の人と同じなんだ。引き出しや納戸に雑多に詰め込まれた大量の物は、他人から見ればただのゴミ。私も、ただのゴミを後生大事に抱え込んでいる人なんだ」と。

 そこからちょっと変わった様な気がします。もともと怠惰な性分なので、「気づき」がテキパキとした「行動」に直結する所までは行かないのですが、それでも、止まっていた何かが少しずつ動き始めた気がしています。頑張りたいと思います。

 

 話は変わるのですが、Youtubeだけで無くテレビでも、不要品を捨ててすっきり暮らそうという趣旨の番組をみるのですが、両者に共通して気になっていることがあるのです。それは、食品を整理してしているときに出てくる、「賞味期限が切れてますよ。はい、捨て捨て」というセリフです。

 そもそも賞味期限とは、安全性や味について、「メーカーが100%保証します」という期限のことですよね。賞味期限を過ぎたからと言って、「食べられない」ということではないわけです。

 「賞味期限切れ。捨てよう」というシーンを目にする度に、私は「もったいない」をとおりこして、「いい加減にしろ」という怒りさえ感じます。特にテレビでそう言った言動を目にすると、「これは新しく買わせるためのメーカーの策略ではないか」と勘ぐりたくなるほどです。

 勿論、賞味期限をはるかに過ぎてしまったものは、味も悪くなり、時には傷んで(腐って)しまっている事もあるでしょう。では、どこまでなら食べても大丈夫なのか?その見極めこそが、大げさに言えば「生きる力」というものの一つなのではないでしょうか。

 昔、世の中に「賞味期限」というものが無かった時代を思い出してみて下さい。私のブログの読者なら思い出せると思います(笑)

 「ねえ、これ大丈夫かな?ちょっと匂い嗅いでみて」

 「どれ。大丈夫、なんともない(あるいは、これはもう駄目だ)」

 一家に一人は「鼻が頼りになる人」がいて、そこだけは一目置かれたりしていたものです。今は独り暮らしの人も多く、判断は自分一人でしなければならない事が多いでしょう。そういった判断力を鍛えるという意味でも、食品は「賞味期限」に頼らず、自分の目で鼻で、そして舌で判断したいものです。自信が無いときは、その時こそ自信を持って捨てればいいのですから。

 ちなみに、缶詰というものは、缶が膨らんだり錆びたりしていなければ、半永久的に食べられるのだそうです。カンヅメ生活に備えて備蓄するものとして最適ですね。サバ缶なんか人気のようです。でも、せっかくの備蓄も、どこにどのぐらいあるのか分からないようでは台無しです。きちんと片付けて正確に把握しておきたいものですね、さばを読むのでは無く。では。 

物欲の高まりが凄い④

 物欲の高まりと戦う日々が続いている。今のところ、銅の卵焼き器と白いフライパンについては、「本当に必要なのか?買ったらちゃんと使うのか?」と自問自答する日が続いている。ところが、その間隙を縫って、またもテレビで紹介された商品を注文してしまった。

 

 薬味おろしである。値段はかなりだが、その分、切れ味が素晴らしいとのこと。生姜・ニンニクは勿論、チーズもおろせるとか。「今お使いの薬味おろし」は、どうも使い心地が良くない。それに、着色汚れも取れないし・・・。新しい薬味おろしは、買ったら使うことは確実だ。どうしよう。

 そして、ここで私は又新たに、「物を買う際の掟」を自分に課すことにした。既に持っている物とかぶる物を買う場合は、古い方を捨てること。それが出来るなら買ってもよろしいというルールを設けることにしたのだ。

 その結果、薬味おろしは、「絶対に使う」「古い方は処分する」という(私の心の中の)二つのルールに合格し、我が家に迎え入れられる運びとなったのである。

 

 ここで誤解を避けるため、一応お断りしておきたいことがある。それは、私は料理好きでも無ければ、ましてや料理上手でもないということだ。ここ最近の拙ブログを読まれた方は誤解されたかもしれないが、私が「道具」を欲しがるのは、無い腕を道具でカバーするためだ。あるいは、少しでも台所に立つモチベーションをあげたい、楽をしたい、そんな思いが私の「道具欲しい」欲求を燃え立たせるのである。

 ちなみに、「ちょっとお高い薬味おろし」は何のために必要かと言えば、生姜をおろすためだ。生姜は、究極の手抜き献立「冷や奴」に必要なのは勿論だが、一度にたくさんおろして冷凍しておくのだ。そうしないと、私のようなズボラ主婦は、生姜を塊のまま駄目にしてしまいがちだから。

 さあいらっしゃい、新しい薬味おろしよ、買ってから随分日が経った生姜があなたを待っているわよ。

 

 ということで、四回にわたって書いてきた「物欲」についてだが、結局のところ、全ては「もったいない」の一語に集約されるように思われる。

 一番もったいないのは、買ったのに使わないこと。そして、(生姜のように)使わずにゴミにしてしまうこと。そのためには、必要かどうか考えることが重要だ。目に負けてしまって、「その時は使うと思ったのよ~」なんて、大量に生姜を買ったときのようなしょうが無い言い訳をしないよう、最低次の二つは自問しようと思う。

 一、今まで持っていない物を買う場合、置き場所はあるか。

 一、同じような物を買うのなら、古い方は処分するのか。

 そして、自問の後の自答は慎重に、慎重に。甘い決断にならないよう、薬味をピリッときかせるように、厳しく自分に問いたいものだ。

 

 新型コロナウイルスのワクチン接種が始まったが、「ステイホーム」はまだまだ続きそうだ。なるべく快適に家で過ごせるよう、便利な道具は購入しつつ、不要品は整理したいと思っている。そのためには、「目に負けないぞ」という強い意志を持ちたい。

 昔、「男は一歩外に出れば七人の敵が居る」という言葉があったが、女には(男も?)家の中にも七人の敵がいるのだ。テレビ、ラジオ、折り込みチラシ、スマホ、パソコン、こたつ、そしてお菓子・・・。おのおの方、ご油断めさるな!なのである。では。

物欲の高まりが凄い③

 そもそも、ネットで「電気圧力鍋」を検索してしまったのがまずかった。打ち寄せていた物欲の波を、頭からまともに被ることになってしまった。

 ネット通販やメルカリやヤフオクを漁っているうちに、「そう言えば、銅の卵焼き器がずっと欲しかったんだ」と思い出した。「ウソをつくな。ずっと欲しかったのなら思い出す、ではないだろう。何となくが、今、急速に欲しいという思いになったのだろう」という心の声が聞こえたが、無視した。ところが、銅の卵焼き器は予想以上に高かった。ひゃー、これは無理、まだ理性が残っていた。が、その理性の隙間をついて、また「そう言えば」が顔を出した。「内側が白いフライパンが欲しかったんだよね~。五千円か~どうしようかな~、卵焼き器の半分の値段だし~」気持ちは「買う」の方に大分傾いている。

 そして、またも「そう言えば」登場。

 

 大昔(40年も前)母親が使っていた、カセの毛糸や玉にした古い毛糸を綺麗に巻き取る道具、あれあったら便利だよね。欲しかったんだよね。高いのかな?出来ればカセの毛糸を引っ掛ける、傘みたいな形の専用の道具(かせくり器)とセットで欲しい。

 

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 そうそうこれこれ、懐かしい、ほとんど形は変わっていないのね。どれどれ、価格は?えっ、二つセットで五千円ちょっと!いいじゃない、フライパンをやめれば買えるじゃ無い!と、「いつの間にか買うことに決まっていたフライパン」を諦めてこちらを購入決定。注文してから届くまで三日。もう、楽しみで楽しみで。届くなり早速巻き巻き。楽しい、速い、手で巻くより綺麗。

 

 そして、自分に言い聞かせるかのように、次のような言葉が浮かんだ。

 物を買うのは悪いことでは無い。悪いのは買ったのに使いもせず死蔵してしまうことだ。欲しいものがあればお財布が許す範囲で買い、大いに使うが良い。私は玉巻き器を回しながら、そして、それはこの国の経済を回すことでもあるのだ!そう考えた。玉巻き器の上の糸玉がドンドン大きくなっていくように、思考もどんどん膨らんだ。このままでは、銅の卵焼き器まで、買ってしまうかもしれない。使えばいいのだもの。毛糸の次は卵を巻けばいいじゃない!ああ、自分で自分の理屈に舌を巻く。

 落ち着け!「かせくり」の後は家計の「やりくり」も考えろ!今、私は必死に自分と戦っている。続く。