おばあさん見習いの日々(ダジャレ付き)

1961年生まれ。丑年。口癖は「もう!」

賞味する・しないは、私が決めます

 断捨離に励もうと思い立って幾年月。最近やっとエンジンがかかったかな?という所まできた感じです。少しずつですが、捨て始めました。

 最近の私は、捨てるモチベーションをあげるために、Youtubeの「片付け」動画をよく見ています。プロの片付けの実際から普通の人の奮闘ぶりまで、感心するほどたくさんの動画がありますね。

 特にプロの業者が、いわゆる「ゴミ屋敷」と呼ばれるような家を、一軒丸ごと片付けていくのは凄いですよ。そのスピードもさることながら、ウンザリするような汚屋敷(おやしき)を、嫌がる様子も無く溌剌と片付けていく様は、お仕事とは言え頭の下がる思いです。

 そして、気付いたのですが、そう言った「ゴミ屋敷」とまでなったような家や部屋に共通するのは、明らかな「ゴミ」までも捨てられること無く、堆積していると言う点です。ペットボトル、空のお弁当容器、宅配ピザの箱、ティッシュペーパー、等々・・・。 

 「なんで捨てないの?ゴミぐらい、さっさと捨てればいいのに」

 動画を見ながらそう思っていた私ですが、ある時、ハッと気付いたのです。

 「同じだ。私もこのゴミ屋敷の人と同じなんだ。引き出しや納戸に雑多に詰め込まれた大量の物は、他人から見ればただのゴミ。私も、ただのゴミを後生大事に抱え込んでいる人なんだ」と。

 そこからちょっと変わった様な気がします。もともと怠惰な性分なので、「気づき」がテキパキとした「行動」に直結する所までは行かないのですが、それでも、止まっていた何かが少しずつ動き始めた気がしています。頑張りたいと思います。

 

 話は変わるのですが、Youtubeだけで無くテレビでも、不要品を捨ててすっきり暮らそうという趣旨の番組をみるのですが、両者に共通して気になっていることがあるのです。それは、食品を整理してしているときに出てくる、「賞味期限が切れてますよ。はい、捨て捨て」というセリフです。

 そもそも賞味期限とは、安全性や味について、「メーカーが100%保証します」という期限のことですよね。賞味期限を過ぎたからと言って、「食べられない」ということではないわけです。

 「賞味期限切れ。捨てよう」というシーンを目にする度に、私は「もったいない」をとおりこして、「いい加減にしろ」という怒りさえ感じます。特にテレビでそう言った言動を目にすると、「これは新しく買わせるためのメーカーの策略ではないか」と勘ぐりたくなるほどです。

 勿論、賞味期限をはるかに過ぎてしまったものは、味も悪くなり、時には傷んで(腐って)しまっている事もあるでしょう。では、どこまでなら食べても大丈夫なのか?その見極めこそが、大げさに言えば「生きる力」というものの一つなのではないでしょうか。

 昔、世の中に「賞味期限」というものが無かった時代を思い出してみて下さい。私のブログの読者なら思い出せると思います(笑)

 「ねえ、これ大丈夫かな?ちょっと匂い嗅いでみて」

 「どれ。大丈夫、なんともない(あるいは、これはもう駄目だ)」

 一家に一人は「鼻が頼りになる人」がいて、そこだけは一目置かれたりしていたものです。今は独り暮らしの人も多く、判断は自分一人でしなければならない事が多いでしょう。そういった判断力を鍛えるという意味でも、食品は「賞味期限」に頼らず、自分の目で鼻で、そして舌で判断したいものです。自信が無いときは、その時こそ自信を持って捨てればいいのですから。

 ちなみに、缶詰というものは、缶が膨らんだり錆びたりしていなければ、半永久的に食べられるのだそうです。カンヅメ生活に備えて備蓄するものとして最適ですね。サバ缶なんか人気のようです。でも、せっかくの備蓄も、どこにどのぐらいあるのか分からないようでは台無しです。きちんと片付けて正確に把握しておきたいものですね、さばを読むのでは無く。では。