おばあさん見習いの日々(ダジャレ付き)

1961年生まれ。丑年。口癖は「もう!」

「帝王切開の語源は、ジュリアス・シーザーがぁ」とか語ってたでしょ

 昨日の拙ブログに書きましたが、惣領冬実先生の『チェーザレ 破壊の創造者』を、イタリア史の勉強を兼ねて読み始めました。漫画で勉強、漫勉がスタートしたのです。

 

 いきなり来ました。

alu.jp

 上は第1巻の表紙の次(見返し?)のページです。

 そうか、Cesareチェーザレはイタリア語読みで、ラテン語ではカエサルなんだ!そして、英語ではCaesarがシーザーというわけね。

 チェーザレ・ボルジアは、美貌で名高いその妹ルクレツィアと共に、名前だけは知っているという存在でした。でも、まさかチェーザレカエサルだったとは、全然気がつきませんでした。一つものを覚えました。

 でも、ユリウス・カエサルカエサルは家族名だし、チェーザレ・ボルジアチェーザレは個人名よね。偉大な「カエサル」にあやかって出来た個人名なのかしらね?

 そんな疑問を発端とし、ユリウス・カエサルについてちょっとネットで(Wikipediaで)調べたところ、思いがけない着地点に至ったのでした。

 まず、最初に浮かんだ「チェーザレカエサルにあやかった個人名なのか」という疑問ですが、これはやっぱりそうでした。

    チェーザレ - Wikipedia

 

 ついでにユリウス・カエサルと言えば、帝王切開で生まれたとされていて、それゆえにその出産方法は「帝王」切開と呼ばれるのだというのは、雑学分野では有名な逸話ではないでしょうか。皆さんも得意げに「帝王切開の語源はさあ・・・」と披露したことがあるでしょう?私はありますね、確実に。

 ところが、今回、Wikipediaを気まぐれに漁っていたところ、それは事実ではないということを知ったのです。詳しく知りたい方は 帝王切開 - Wikipedia こちらをどうぞ。

 「特に詳しく知りたいわけでは」という方のために、簡単に「事実ではない」というその根拠の部分を載せます。

 

当時の医学では腹部を切開して母子ともに健康ということはありえない上、カエサルが長じてから生母アウレリア・コッタ英語版に宛てた書簡が存在することから、実際にカエサル帝王切開で生まれた可能性は極めて低い。

 

 ここを読んだとき、「そりゃそうだ」と思いました。当時の医学で「帝王切開」が可能かどうかなんて、ちょっと考えれば分かりそうなものなのに。百歩譲って臨月のお母さんの命と引き換えというならまだしも、母子ともに元気なんて紀元前の時代、あり得ないことです。

 でも、スペインで7世紀に書かれた有名な『語源』という書物に、「彼(ユリウス」は死んだ母親の切り取られた胎内から引き出された」という記述があり、この書はのちのち典拠として採用されることが多かったそうです。それで皆信じちゃったってことのようなのです。

  ちなみに、母子ともに救命に成功した帝王切開は、Wikipediaの同じページによりますと19世紀になってからのことだそうです。

 

 今回、シーザーは帝王切開で生まれたのではないと知って大いに驚いたのですが、このことで一番驚いているのは、もしかしたら、あの世のシーザー自身と彼のお母さんかもしれません。特にお母さんは勝手に死んだことにまでされていて、お可哀想にと思うのはせっかいが過ぎますかね。

 

 始めたばかりの漫勉ですが、早速面白い知識を得ることが出来て嬉しいです。この後もじっくりゆっくり読み進めたいと思います。では。

 

何十年ぶりだろうか、マンガを買うなんて

 昨夜、Eテレの『浦沢直樹の漫勉neo』という番組で、惣領冬美(一発で変換できた!)先生の『チェーザレ 破壊の創造者』というマンガが紹介されました。

 「惣領冬実先生」なんて、まるで以前から知っているかのように書きましたが、全然存じ上げない漫画家さんです。でも、それは私がマンガをほとんど読まないからであって、テレビで取り上げられるほどの有名にして人気の漫画家さんなのです。息子達世代にならって、先生呼びすることにします。

 

 昨夜紹介されたそのマンガ『チェーザレ 破壊の創造者』は、イタリアルネサンス期の傑物・チェーザレ=ボルジアの生涯を史実にのっとって描いており、本家イタリアでも大人気なのだそうです。

 

 

alu.jp

 

alu.jp

 

 「漫勉neo」という番組はマンガの描き方について、「絵」に焦点を絞ってホストの浦沢直樹先生とその回の漫画家さんが語り合うという内容です。定点カメラで撮影した漫画家さんの仕事ぶり、つまり絵の描き方をじっくりと観察しながら、プロフェッショナルが二人、「ああやっぱりそうですか-」とか「そうなんですよ、そこ大事ですよね-」と熱く語り合うのです。

 私は自分に絵心が全く無いせいか、漫画を読む時はストーリーとキャラクターに関心のほとんどを向けています。つまり、小説を読むように漫画も読んでいて、「絵」はそれらを理解するための補助的な役割としか認識していませんでした。ということを気付かされたのです。「漫勉neo」で。

 この番組は結構な確率でみているのですが、どの回も漫画家さんの「絵」に対するこだわりと言いますか熱量といいますか、圧倒されます。本当に「先生!」とお呼びしたくなるのです。

 そして思いました。

 今度からマンガを読むときはじっくりと読もうと。一コマ一コマ、絵を味わいながら丁寧に読んでみたい、そう思っていたところだったのですよ。

 そこへ昨夜の『チェーザレ 破壊の創造者』です。人物描写が丁寧なのは勿論、「背景」に対するこだわりが凄いんです。浦沢直樹先生がおっしゃいました。

 「惣領さん、読者をこの場所に連れて行きたいって思って描いてるでしょう」

 イタリアは私にとって憧れの土地です。一度、駆け足で旅行したのですが魅了されました。絶対にまた行きたい、そう思っていましたが、残念ながらこのコロナ禍でいつになることやら。「これは!」心を決めました。大人買いだ!

 Amazonで探しました。そうか、Kindle版という手もあるのね。でも家族や友達に貸すかも知れないから、やっぱり紙がいいかしらね。ああ、中古もあるんだ。中古でも、まあまあのお値段ね。うん?中古ね・・・。

 そして今日、一応見るだけ見てみるかと、ダメ元で近くのブックオフに行ったところ、ありました。1巻から9巻まで。ああ、さすがブックオフ、カミ()はいらっしゃる!

 ということで、今から私はイタリア史の勉強も兼ね、『チェーザレ 破壊の創造者』を読みふけることになるのです。漫画で勉強、漫勉のスタートです。では。

 

 

とても悲しい話を聞いて、笑った

 知人(80代女性、小さな地方都市在住)と電話で話す機会がありました。

 お互いの近況を報告し合い、私が「お体に気を付けて下さいね」と言いますと、彼女は笑いながら次のように答えてくれました。

 

 「そうですよね、今のこのコロナねー。私、同居の娘にこう言ったんですよ。

 お母さんがコロナにかかって重症になっても、あのなんとか言う仰々しい機械、あんなのお母さんにつけなくていいからねって。

 そうしましたらね、娘が言うんです。

 お母さん、心配しなくっても、ウチの方の病院にはあんな機械はないから、って」

 

 二人で笑ってしまいました。

 その地方都市は私の故郷でもあります。そうか、そうだろうな、そう思いました。

 故郷というものは、その駄目な所も含めて懐かしかったりするものですが、さすがに凄まじいまでの医療格差までは「あばたもエクモ」というわけにはいきません。では。

編み物をすると人は賢くなる、いやホントの話

 今、毛糸で靴下を編んでいます。編み物に限らず、座って黙々と作業をする時、人はついつい考え事をしてしまうものです。

 

      *************

 

 ソックヤーンって、靴下を編むための専用糸だよねえ。昔はあまり見かけなかったけど、最近、若い人の間でも靴下を編むっていうのがちょっと流行ってるみたいだものねえ。

 それにしても、英語の単数・複数って面白い。片方だとソック、左右揃ってソックス。編むときは片方ずつだもの、ソックよね。

 でも、なんで単数・複数にいちいちこだわるのかな?そのくせ「数えられない名詞」とかもあったりして。こだわるくせにいい加減、そゆとこあるよね、英語。

 そう言えば、昔、アメリカ人男性(日本語ペラペラ)に、pantsについてきいたことがあったっけ。「両脚を覆っているからパンツだけど、片方が付け根のあたりから破れて無くなったら、パントになるの?」ってきいたら、「多分」って言ってた、変な笑い方しながら。あれ、心の中は「uze-(ウゼー)」だったよね、多分。

 二つ揃っているものって世の中にいっぱいあるけど、いちいち、~sとか~esとかつけるんだよね。顔の部品とかたいてい二つだから、律儀につけるんだよねえ。目アイズでしょ、耳イヤーズでしょ、眉アイブロウズ、ほおチ-クス、唇リップス・・・、顎も上顎と下顎と二つ有るから「ジョーズ」。ジョー「ズ」だから恐ろしいわけで、「ジョー」だったらそのサメはもう死んでるわよね、あっ、これは「ジョー談」ってやつね。

 あれ、顎を表す英語で、下顎を言う「チン」ってあったよね、ボクシングで良く使われる。下顎は一つしか無いから、「チン」は「チン」だと思うんだけど、二重顎の場合はどうなの?あれは複数形?

 

 ということで調べました。

 顎の先端を chin と言い、二重顎は double chin。二重顎は、お肉こそ二重になっているものの、顎先はやっぱり一つと言うことなのだと思います。

 ついでに、二重まぶたも調べてみました。double eyelid。やはり皮こそ二重なものの、まぶたとしては一つなのです。ちなみに、一重まぶたは single eyelid です。

 では問題です。「彼女は二重まぶたです」これは英語でどのように言うでしょうか?

 

 答え  She has double eyelids.

 そうよね、二重まぶたを二つもってるものね。英語のあまりの律儀さに、目がパチパチとなりました。

 こんな風に、編み物をしながら考え事をし、そこから何かを調べてと、「編み物をすると人は賢くなる」のは本当なのですが、編み物も調べものも、目が疲れるのが難点です。

 ひょっとしたら、がパチパチとなったのは疲れ目のアイズだったのかもしれません。休憩します。では。

息子との会話で知る、「時代に遅れてる」

東京で暮らす息子その2との会話です。

 私 「ウーバーイーツって、利用してるの?」

 彼 「時々ね」

 私 「電話で注文するの?」

 彼 「電話?電話って・・・。笑笑笑」

 私 「アハハ、今時、電話ってことはないよね。そうよね、メールだよね」

 彼 「・・・メール。いや、アプリで・・・」

 私 「ああ、あー、アプリね・・・。で、品物が届いたら支払いするわけ?」

 彼 「ああ、まあ、現金でもいいんだろうけど、普通は注文時に電子マネーかクレカ」

 私 「お母さん、ずれてるよね・・・」

 彼 「いやあさすがに、電話は驚いたわ」

 

 どなたかこんな私のために、電話で注文を受け付け、現金払い歓迎の「老ー婆ーイーツ」システムを始めてくれませんかね。 

 

 また別な日の会話です。

 彼 「イーグルとホークって、どっちが鷹でどっちが鷲だっけ?」

 私 「あれっ、お母さんも分かんないや」

 彼 「ホークスのマスコットって、あれどっち?」

 私 「ホークスって、南海ホークス?」

 彼 「南海!南海って!お母さん、いつの時代の話してんの!」

 

 私は自分で自分にあきれてしまって、言葉が出ませんでした。

 昔の知識は出てくるのに、新しいことをインプットして適切にアウトプットするのは実に難解なことになってしまったのです。年をとるってこういうことなのですね。このまま老化がすすめば、その内に一人称が「わし」になる日も遠くないかも。たかがこれしきのこと、と笑っては済ませられない気がしてきたのでした・・・。では。

不機嫌には二種類あると思われ

 人の「不機嫌」というものについて、私の考えを述べたいと思います。科学的な根拠とかデータなどのない、単なる「私が59年生きてきてわかったこと」です。お時間のある方はお付き合い下さい。

 

 不機嫌には二種類あると思います。

 一つ目は「生理的不機嫌」と勝手に名付けます。恐らくホルモンの影響なのでしょう。寝起きとか、睡眠不足・空腹とか、生理・更年期とか。そういう原因で不機嫌な人は、「他人と関わりたくない」という精神状態にあると思うので、回りとしては「放置」しておくのが一番いいと思います。原因が解消されればケロッと、いつもの状態に勝手に戻ると思われます。

 

 二つ目は「武器としての不機嫌」と名付けることにします。こちらが厄介なんですよ。

 まず、「生理的不機嫌」と違って、不機嫌を見せつけるための他人を必要とします。それも、誰彼構わず不機嫌な顔を見せるのではなく、ちゃんと相手を選ぶので質が悪いです。

 こちらの不機嫌の原因としては「不愉快」ということがあげられます。そして、不愉快の根底には「怒り」があるのです。

 誰か(それは目の前の相手かも知れないし別な誰かかも知れません)が自分を不愉快にさせた。とても頭にくることを、その誰かに言われるかされるかした。仕返しをしてやりたい。人によっては積極的な攻撃に出ることもあるでしょう。

 ところが中には、自分では何もせずとも実に効果的な攻撃方法を身につけている人が存在します。その方法が「不機嫌」なのです。

 仏頂面で全身から「不機嫌オーラ」を発する。そのくせ一人になりたい風でもなく。見かねた周りの人間(家族・友人・気のいい同僚など)が、ついあれこれと機嫌をとってしまいます。あるいは、「私のせいで不機嫌なの?」と、心当たりの人物がオドオドと顔色をうかがってたりして。

 そう、この、周りの人間に「気を遣わせる」のが不機嫌人間の勝利で有り、そのための武器として「不機嫌」を使っているのです。

 そんな彼ら彼女らは、恐らく幼児の頃にその術を身につけたのでしょう。ふくれっ面でいればお菓子やおもちゃが与えられ、ふてくされてみせると、周りの大人が「ほらほら」と機嫌をとってくれる。そうやって「不機嫌」を見せつけることに味を占め、日々その技を磨いてきたのでしょう。

 その技の鍛錬の中には、「攻撃の効く相手を見極めること」が、重要課題として含まれます。「不機嫌」は積極的に相手を攻撃する武器ではないので、効かない相手には全く無力です。人の顔色をついつい伺ってしまうような、あるいは「私が悪いのだろうか」と悩んでしまうような、そういう相手でなければ意味のない攻撃になってしまいます。上に、「ちゃんと相手を選んでいる」と書いたのはこのことです。

 では、このような武器として「不機嫌」を繰り出してくる人が身近にいた場合、どのような対処方法が有効でしょうか。

 

 私はこう思います。一番重要なのは、「これは戦いだ、負けられない」と、気持ちを強く持つことだと。相手はあなたをなめ切って、不機嫌オーラ全開でいます。

 「俺(私)は、怒っているぞ。さあ、オロオロしろ。俺(私)が満足して機嫌を直してもいいと思うまで言葉を尽くせ。ビクビクと顔色を伺い続けろ」と、こんな風に思っているんですよ。

 でも、悲しいかな、あなたには「相手の顔色伺い癖」がついています。そして、相手はそれを見抜いています。厳しい戦いです。でも、戦わなければ勝利はなく、勝利しない限り、ことあるごとに相手の「不機嫌攻撃」にさらされるのです。

 「戦いなのだ」「負けてたまるか」、そういう心の準備が出来たなら、第二段階は「視界に入れない」ことです。不機嫌な人は恐いです。だって、私を攻撃する意図がある人なのですから。

 そして、おうおうにして人は恐いもの見たさで、見てしまうんですよ、相手を。見ない、見ない。見てはいけないのです。なぜなら、見る=顔色を気にしている、ということになり、相手の思うつぼなのですから。

 別な場所に行くなり、普段だったらやらないような片付けに精を出すとか。とにかく相手を視野に入れない工夫をしましょう。こちらからの働きかけはしないことです。

 

 「これは戦いだ」と勇ましく書きましたが、今、私に言えるのは、この第二段階の方法までです。でも、このトレーニングを積み重ねていけば、やがては勝利の日がやってくると思うのです。相手の不機嫌が気にならないという勝利の日が。

 もともとこの戦いは相手が勝手に仕掛けてきたもので、受けて立つ義理はないのです。「相手の不機嫌は相手の問題。自分には無関係」、そんな風に割り切って自分の心の平安を乱されない、これ以上の勝利は無いと思います。

 そして、もし、相手の不機嫌=怒りが私に起因するものならば、はっきりと言葉にして伝えて欲しい、そう思うし、それは正当な要求だと思います。だんまりを決め込んで不機嫌オーラで勝とうなんて、子供っぽいにも程があります。私、あなたのママじゃない!そんな風に思うのです。

 何かとままならない世の中、出来るだけ心穏やかに暮らして行きたいのです。では。

とても怖い話を聞いた

 今日、随分久しぶりにお友達とお茶をしました。その友達は60代女性。グレイヘアがお似合いの、押しも押されもせぬ「お婆さん寄りのおばさん」です。

 

 テーブルに着くなり、「とても怖い目に遭ったの。今は落ち着いたけど、暫くは心が動揺してた」と、彼女は話し始めました・・・。

 

 

 何日か前、用事があって、イトーヨーカドーに行ったの。

 道の向かい側から、40代ぐらいの女性が歩いてきたわけ。斜めに歩いてきて、私の方に寄ってくる感じなの。

 で、スレスレですれ違って、なんか変なの、と思った瞬間、その人がクルッと向きを変えて、いきなり体当たりされたのよ。

 よろめいて茫然としているうちに、相手はヨーカドーに入っていって、私はその人の姿が見えなくなるまで、入れなかった。

 体当たりされた事も怖かったけど、本当に怖かったのは、ぶつかった瞬間に相手が言った言葉。

 

 『人って、こうやって刺されるんだよね』

 

 話を聞いていて、私は背中がゾーッとしました。と同時に、「それブログネタにしていい?」と尋ねてしまいましたが。

 友達は「皆に注意を促す意味でも是非書いて」と言ってくれたので、こうして帰宅するや書いているのですが、それにしても恐ろしい。スーパー恐ろしい。イトーヨーカドー前での出来事だけに。

 本当に油断も隙もない世の中です。買い物に出かける際には、マイ・バッグだけではなく、マイ・バックにも注意が必要なのです。では。