おばあさん見習いの日々(ダジャレ付き)

1961年生まれ。丑年。口癖は「もう!」

ススキも揺れて

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  一週間程前に撮影した写真です。秋ですね~。

 青春・朱夏・白秋・玄冬というように、秋には白という色があてられていますが(五行思想というものらしいです)、確かに秋の日差しは白っぽく感じられますね。写真のようにススキの白い穂が風の中で輝いたりしていると、正に白秋!

 

 以前に書いた事があるのですが、私は白髪頭です。自分で自分の頭は見えないのが残念ですが、私の頭も秋風の中、ススキのように白く光を反射したりしているのかな?人生の秋っていう感じで、それもまた一興ですね。

 ただ、頭が白くなると言っても、外側、つまり白髪はなんてことはないのですが、頭の中が白くなる=物忘れは困ります。最近はちょっと記憶力に自信がなくなってきて、人生の秋は「諦めのアキ」といった弱音も出てしまうのです。

 

 「幽霊の正体見たり枯尾花」。尾花とはススキのことで、恐い恐いと思っていると、枯れた雄花が揺れる様子まで、まるで幽霊のように見えてくる、というような意味ですね。

 老化を自覚することも大切だとは思いますが、あまり先行きを怖がらず悲観せず、「秋は実りの秋でもある」と、前向きに日々を過ごしたいものです。幽霊の正体が枯尾花であるように、案外、老化もどうということもないものかもしれないのだし。

 プラス思考の自分に、自分でハクシュウ(拍手)をおくりたいと思います。では。

 

私の面白がり方

 今日は眼科に行ったのですが、ちょっと面白い会話を耳にしたので、紹介したいと思います。登場人物は、患者のお爺さんと受付のお姉さんです。

 

 お爺さん 「初めてです。診察券はありません」

 お姉さん 「お作りしますね。お名前の読み方をお願いします」

 お爺さん 「キムラです」

 お姉さん 「あの、下の名前をお願いします」

 お爺さん 「キムラ〇〇です」

上の会話、私はとっても面白かったんですよ。

 

 キムラって、難読のキムラさんなの?

 一体どんな漢字を書くというの?

 「ツリー・ビレッジ(木村)」のキムラだったら怒るで!

と、心の中でツッコミまくって楽しませて頂きました。受付のお姉さんも面食らって、目を白黒させたのでは、眼科受付だけに。

 

 私的に面白かった事を紹介ついでに、十日ほど前に撮った写真も紹介させて下さい。

 

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 この写真は弘前市のお隣の大鰐町で撮影しました。あじゃら公園というところです。一角に、恐らく移築されたと思われる古民家がありまして、立派な庭園も広がっています。まるで『日本昔ばなし』の世界のようじゃないですか。

 

 その庭園の一角に、自然石を連ねた急勾配の水路がありまして、水が豊富であれば滝のような眺めが楽しめるのだろうと思います。ところが、今夏の津軽地方は水不足が心配されるほど雨が少なく、私が行ったときには水はほとんど流れていませんでした。

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 何か、緑に染まっている部分がありますね。寄ってみましょう。

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 まるで抹茶を流したかのような・・・。

 雨が少ないために、溜まった水の表面を水草が覆い尽くしたのでしょう。決して「美しい」と思ったわけではありません。でも、「面白いな-」と思い、シャッターを切りました。

 ただ撮影はしたものの、ブログで紹介するほどでもないかなとお蔵入りにしていたのですが、今日のテーマならと思い、思い切って出してみました。公開して後悔とならなければいいのですが。

 

 眼科のキムラさん、恐らく「ツリー・ビレッジ(木村)」さんだと思うのですが、お陰様で、私ののどかなツリー・ビレッジの写真を紹介することが出来ました。

 改めてみると、我ながらいい写真だと思うんです。高いところから、つまり眼下に見下ろす構図が中々いいと思うのですが、如何でしょうか?では。 

最終週の「なつぞら」、なんだかなあ

 今朝のNHK連続テレビ小説なつぞら』、やっぱり『ざつぞら』でしたね。時代考証が全然なされていなくて、一体いつの時代のお話なんだ、と思うことがしばしばあるドラマなのは分かってはいますが、それでもあんまり雑だと、やっぱりがっかりします。

 ドラマですから、ストーリーや登場人物の魅力といったものが重要なのは勿論ですが、ドラマの舞台が昭和であれば、視聴者の年齢層を考えたとき、

 「懐かしいなあ」

 「ああ、あったあった。昭和って、こうだった」

そんな感慨を呼び起こしてくれるのも、ドラマを見る大きな楽しみの一つだと思うんですよね。

 

 外注先から仕上がった動画を抱えて、雨の中、小走りで帰って来た青年。片手に動画、片手に傘。大方の視聴者の予想通り、見事にこけて、大切な動画は水たまりへ・・・。

 何より大切な動画、雨の中、むき出しで運びます?今までだって雨の日はあったでしょう。大切な「紙もの」を、むき出しで持ち運ぶ青年に誰も注意もアドバイスもしなかったのかな。それって、会社としてもいかがなものかと。

 

 これから書くことは、あくまでも私の記憶の中の昭和であって、何かで調べたとかではありません。地域やあるいは各家庭で違いはあったかと思いますので、その点をお含みおきの上、お読み頂ければと思います。

 今でこそ、レジ袋のお陰で買い物に行く際に手ぶらであったり、あるいは、少量の持ち物であればむき出しで手に持ったり、そんな事が当たり前の風景になりましたが、昭和40年代頃まではそうではなかったと思うんです。

 お母さん達は近所へのお買い物には、「買い物かご」を持ちました。子ども達も荷物があるお出かけに際しては、何らかの袋を持たせられ、むき出しで物を持ち運ぶのは「みっともない」こととされていました。デパートなどで高額の嵩張るものを買った時にだけ貰える「紙袋」は貴重で、時にはお金を出して「ビニールのかかった紙袋」を買ったりしたものです。

 さらに時代を遡ると、活躍していたのは「風呂敷」ですね。世の大人達が常に風呂敷を携行していたのは、昭和40年代始めまででしょうか。大きさ・形にかかわらず、出先で何かを手に入れると、「風呂敷ありますから」と言って、さっと包んでいた祖母や母の姿を覚えています。

 雨の日と言えば、私は実際に使った事はありませんが、「油紙(あぶらがみ)」というものの存在は知っています。紙の表面に薄く油を塗って、防水の働きをする茶色の紙があったのです。宅急便のない時代、荷物は郵便小包で送りましたが、水に濡れては困る物、あるいは水分がしみ出す恐れがあるものは、この油紙で厳重に包装したのだと思います。多分。

 

 今朝の「なつぞら」をみて一番がっかりしたのは、物の扱いがぞんざいだという点です。今でこそ、日本は豊かな国になって、あらゆる物が使い捨てになったり、粗末にされたりしていますが、昭和50年の時点で既にそうだったでしょうか。高度経済成長期を通過した時代とはいえ、まだまだ「もったいない精神」は庶民の間に根強かったと思うのですが。

 大事な大事な動画。油紙に包んで風呂敷で持ち運べとは言いませんが、作品としてという以前に、「物」を大事にする姿勢が描かれていて欲しかったなあと、残念に思ったのでした。

 ネット上では、何かと批判されることの多い『なつぞら』ですが、そんな中、常に好評なのは草刈正雄演じる「泰樹(たいじゅ)じいさん」です。今朝の、すっかり年老いたお爺さんを演じる姿も、「うまい!」という声がしきりのようです。

 まさに、寄らばたいじゅの陰、とはこのことでしょう。では。

「ようだ」「せいだ」「あせいだ」

 タイトルの意味が分かった方、通ですね。どの位の通かというと、蛇(じゃ)の道は蛇(へび)、と言うぐらいの通っぷりですな(意味不明)。

 

 昨日、ウォーキングの催しがあり、岩木山麓を6㎞ほど歩いたのですが、途中、桜林公園という所で小休止をとりました。その際、蓋のない側溝に目をやりましたところ、蛇が死んでいたのです。リュックからカメラを取り出し、撮影しました。そっこう(速攻)で。

 

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 大きさ的に子どもの蛇かと思われます。

↓ アップにします

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 私は、蛇は好きでもないし興味もあまりないのですが、「この模様はひょっとしてマムシではないか」と思いました。でも、自信がないので予想は口には出さず、周りの人に「なんて言う蛇でしょう?」と聞いてみたのですが、皆さん「分からない」ということでした。

 この蛇の種類が何であろうと、どうでもいいと言えばどうでもいいのですが(咬まれたわけでもないし)、もしマムシであれば、この際マムシの模様をしっかり覚えておくのもいいかもしれないと思い、家に帰ってネットで調べて見たのです。

 結果から言うと、これはマムシではなく、「アオダイショウの子ども」であることが分かりました。と同時に、蛇に詳しい人の間では、アオダイショウの子どもはマムシに似ているというのは常識、と言うことがわかったのです。

 

 Wikipediaからの、アオダイショウ(左)とマムシ(右)の写真をご覧下さい。

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確かに、アオダイショウの子どもは親には似ず、マムシに似ています

 今回、ネットで調べて分かったのはこれだけではありません。というより、私にとって一番「へー!」だったのは、蛇に関する新しい用語を知ったことだったのです。

 先ほどから「アオダイショウの子ども」と何度も書いていますが、蛇の子どものことは、「幼蛇(ようだ)」と言うのだそうです。ヨウダって、スターウォーズでしか知りませんでしたよ。

 更に、大人の蛇は「成蛇(せいだ)」と言い、大人の一歩手前のものは「亜成蛇(あせいだ)」と呼ばれるのだそうです。

 では、成蛇と亜成蛇の境界、つまり成年と未成年の境界はどこだと思いますか。

 答えは繁殖可能かどうか。自然界では当たり前の境界線だと思うのですが、なんとなく虚を突かれた感じがしました。人間という生き物の特殊さを思い知らされた感じ、「目から鱗」という思いがしました。蛇だけに。

 ということで、タイトルにピンと来た方、ヘビ通ですね。

 私のようによく知りもせず、「ひょっとしてマムシ?」なんて怖がるのは、じゃどうですよね、蛇だけに。

 何事も生半可に知ったかぶりをしないよう、気を付けたいものだと思いました。では。
 

食べさせたいという本能

 数日前、ちょっと郊外に足を伸ばしてウォーキングを楽しみました。

 お天気も良く、爽やかな秋の空気を満喫、そう、世間はいつの間にかすっかり秋だったのです。

 リンゴ畑の赤く色づいた実を見たときも、ああ秋だと思ったのですが、下の写真の梨の実にはつくづくと秋の到来を思わせられたのでした。私が自宅内または自宅周辺の狭い範囲をウロウロしている間に、秋はちゃんとやって来ていたのね。

 

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 この梨の実を見たとき、秋の到来の他に思った事が二つありまして、一つは、

「良く盗られないものだ、盗って下さいと言わんばかりなのに。日本って、いい国だなあ」ということ。

 そして二つ目は、

息子その2に食べさせたいなあ」ということでした。

 息子その2は現在東京で暮らしているのですが、「一番好きな果物は梨かもしれない」と言うほどの梨好きなので、この梨を見た瞬間、そう思ったのです。この感覚、子を持つ親なら、いえ、子どもの無い人でも分かって頂けるかと思います。

 今日は、ちょっとそのことをテーマに書き進めていきたいと思います。

 

 人間は、自身の生存や子孫を残すために必要な行為には、快感が伴うよう進化してきました。食事や睡眠や恋愛が苦痛な人は、あまりいませんよね。同じように、子どもを育てるために必要不可欠な、「子に食べ物を与える」という行為、これにもやはり、快感が付与されているようです。

 人間が常に飢餓にさらされ食物が非常に貴重だった時代、もしも親が子に食べ物を与えることが苦痛だったならば、人類は繁栄できなかったワケです。貴重な食物であっても子に与えたい、つまり与える喜びが本能的にあったから、厳しい環境にあっても、子どもは生きながらえることができたワケです。

 公園で「鯉の餌100円」とか動物園で「餌用ニンジン100円」とか、冷静に考えれば何が楽しいのかと思うような「餌やり」という行為ですが、私達人間は、それを楽しいと感じる本能があり、お金を払ってでもその快感を得たい生き物なんですね。

 働いていたとき、私がシュレッダーを使っていると、やっぱりシュレッダーを使いに来た後輩女性がいました。

 私 「一緒にやってあげるから置いていって。私、シュレッダー、好きなの」

 彼女「私もなんです。シュレッダー、楽しいですよね」

 私 「そうそう。動物に餌をあげてる気分なの」 

 彼女「分かります~(笑)」 

 シュレッダーを動物の餌やりのように感じるかどうかは、個人の感性によるところが大きいと思いますが、動物や子どもや、あるいは相手が大人であっても、「他者に食べさせる」と言う行為には喜び=快感があるということは、多くの方に賛同して頂けるかと思います。

 ところで。

 『feeder(フィーダー)』という言葉を聞いたことはありますか?英語のfeedは「食べ物を与える」という意味で、フィーダーとは、「他者に過剰に食べ物を与える人」という意味だそうです。この場合の他者とは自分の子どもであったり、恋人であったり、友人であったり様々ですが、相手が誰であれ、健康を損なうほどの肥満体になるほど食べさせるというのが共通点であり、問題点となるわけです。

 フィーダーの動機は様々有るようですが(興味のある方はググってみて下さい)、根底にあるのは「相手に食べさせたい」という欲求、つまり相手が大量に食べることで自分が快感を得るという、自分本位のゆがんだ欲望に突き動かされての行動なのです。

 読者の皆さんは、このフィーダーというものの恐ろしさを、他人事と思われるでしょうか?私はそうは思えないのです。

 例えば、可愛い可愛い孫を食べ物攻めにして、食べれば食べるほど喜ぶ。明らかに肥満児の孫なのに「太っている方が可愛い」という。そんなお年寄りを見たことはありませんか。私は、自分がそうならないとも限らないと思ってしまうのです。

 「食べさせる」という事には強い快感があり、しかも食べさせられる相手も喜んでいる。これにストップをかけるには、「健康に悪い」という理性的判断と「我慢する」という意志の力が必要です。でも、年をとるということは、大脳のうちの、そういう働きが弱くなるということですよね。ちょっと自信がないのです。

 存在してもいない孫の心配をしてもしょうがないとは思うのですが、いざその時がきたとき、まごつくことが無いよう、考えておくのも悪くは無いと思った次第です。

 備えあれば憂いなし、という格言で、梨から始まった記事を終わりたいと思います。では。

柳は揺れて、柳絮(りゅうじょ)は飛んで

 柳の思い出の続きです。前回の記事から間が開いてしまったのは、ちょっとようじがあったもので、ヤナギだけに。(今回は初っぱなにダジャレです)

 

 中島みゆきの『EAST ASIA』という、1992年に発表された曲の一節。

 
  モンスーンにいだかれて 柳は揺れる
  その枝を編んだゆりかごで 悲しみ揺らそう
  どこにでもゆく柳絮(りゅうじょ)に姿を変えて
  どんな大地でもきっと生きてゆくことが出来る
 
歌詞の一部を読んだだけでも、東アジアの湿度の高い、なんとなく悲しみに彩られた世界観に包まれます。ちなみに、天安門事件は1989年の出来事です(あれから30年!)。
 
 この曲で柳絮という言葉を知ったのかもしれません。柳の種子は白い綿毛に包まれて、風に乗って遠く旅をするのだそうで、その白い種子を柳絮と呼ぶそうです。
 Wikipediaによりますと、中国では柳絮は5月頃の風物詩となっているそうですが、日本では盛大に柳絮を飛ばす品種はあまりみられないのだとか。
 
 今から20年以上も前の事ですが、ある春の日の職場での出来事です。開いていた窓から何か白いフワフワしたものが入ってきて、真っ先に気づいた同僚が窓の外を見ると、一面にその白いフワフワが飛んでいるのです。
 「あれ、何?」「何だ?」「見たことない」
 何だ、何だ と騒ぐ中で、一人、50代の男性が、
 「あれはさ、柳の種が飛んでいるんだよ。柳絮っていうんだ」と、解説してくれたのです。
 これが柳絮か。言葉は知っていたけれど、初めて見た。
 『EAST ASIA』の歌詞を思い出しながら、感慨深かった事を覚えています。不思議に、あれほど盛大な柳絮を見たのはあの時一度きりで、それが余計にその記憶を鮮明にしているのかもしれません。
 前回の記事に書きましたが、私の実家の近くには立派な枝垂れ柳が立っていました。でも、一度も柳絮が飛ぶ様をみた覚えはないのです。Wikipediaにあったように、柳絮を飛ばさないタイプの柳だったのか、あるいは、柳は雌雄異株なので、あの樹は雄株だったのかもしれません。
 
 今回、柳絮についてネットで調べた中で、新しく知った言葉があります。
 「柳絮の才」。柳絮の才とは、文才がある女性のこと。晋の時代、謝道蘊という女性が、降る雪を柳絮に例えた詩を詠み文才を讃えられた、という故事によるそうです。
 柳の木に雌雄の違いがあるように、文学的な表現にも男女による違いがあるのかもしれません。
 柳絮の才、中島みゆきさんにピッタリの言葉を発見したと思ったのでした。では。
 

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柳は揺れて、思い出も揺れて

 最近お気に入りのウオーキングコースに位置する「総合学習センター」の隣には、良く整備された公園が広がっています。

 人間の目って不思議なもので、毎日見ていても目に入らないものがあり、そうかと思うと、何かの拍子に、「こんなものがあったのか」と、忽然と目にとまったりするものです。

 昨日、ウオーキングをしていた折、公園に枝垂れ柳が植えられていることに気づきました。枝垂れ柳って独特な形状の木なのに、その瞬間まで全く気づきませんでした。でも、気づいた瞬間に何だか懐かしさでいっぱいになって、しばらくボーッと眺めておりました。

 柳には思い出が二つあります。

 

 私の実家は道路からちょっと入った場所にあり、「隣家」というものがないと言ってもいいような、ポツンと、と言うほどでは無いけれど、一軒家に近いような立地でした。その、私の家への入り口には、かつて、それはそれは立派な枝垂れ柳が立っていました。小さい頃からその姿に親しんでいた目にも、惚れ惚れするような見事な木でした。

 ところが、小学校何年生の時だったでしょうか。同級生達と遊び、暗くなった頃、「じゃあね、バイバイ」と帰ろうとする私に、皆が、大丈夫?一人で帰れる?恐くない?と聞くのです。

 「えっ、恐いって、何が?」

 「だって、あなたの家はあの柳の前を通るでしょ?あそこ、出るでしょ?」

 その時まで私は知らなかったのですが、村の子ども達の間では、あの柳の木は幽霊の名所と言うことになっていたのでした。かなり年上の女の子達も、本気で怖がっていて、暗くなったら、あそこは一人では通れないという場所だったらしいのです。

 でも、私は全然平気でした。みんなの噂話を聞く前と変わらず、柳の木を好ましくこそ思え、恐いと思うことはありませんでした。なぜなら、私の家には、

 「そんなくだらない話を怖がってどうする!」と、噂話を伝える娘を一喝する、恐い恐い母がいたからです。

 ドラマなどで、訳知り顔の大人が「死んだ人間より、生きている人間の方がずっと恐ろしいよ」などという台詞がありますが、確かに、幼い頃の私にとって一番恐いものは「母」でした。

 

 枝垂れ柳に幽霊を連想するのは、私の回りに限らず一般的なことで、一つには柳は水辺に植えられていることが多く、水は幽霊と親和性が高いということがあるようです。もう一つには、枝垂れ柳の枝が暗がりでゆらゆらと揺れる様が、人の目に不気味なものを見させる、つまり、幽霊と見間違わせるということらしいです。

 母も昔の人なので、幽霊や霊魂なども、信じないというワケではありませんでした。ただ、母はいわゆる気丈な人だったので、幽霊を怖がるなら出てから怖がれ、出る前から怖がってどうする、といった考えがあったように思います。今となっては知る術も無く、ただ柳の枝のようにゆらゆらと想像を巡らすだけです。

 

 立派な枝垂れ柳の思い出をちょっと書くつもりが、筆がだれて長くなりました。二つ目は明日に回したいと思います。

 最後にダジャレクイズです。

 問  スイスにも幽霊は出ますかいな?

 

 答  ヨーデル

    ※歌が得意な方は、ユーレイヒーと高らかにどうぞ。では。