おばあさん見習いの日々(ダジャレ付き)

1961年生まれ。丑年。口癖は「もう!」

最終週の「なつぞら」、なんだかなあ

 今朝のNHK連続テレビ小説なつぞら』、やっぱり『ざつぞら』でしたね。時代考証が全然なされていなくて、一体いつの時代のお話なんだ、と思うことがしばしばあるドラマなのは分かってはいますが、それでもあんまり雑だと、やっぱりがっかりします。

 ドラマですから、ストーリーや登場人物の魅力といったものが重要なのは勿論ですが、ドラマの舞台が昭和であれば、視聴者の年齢層を考えたとき、

 「懐かしいなあ」

 「ああ、あったあった。昭和って、こうだった」

そんな感慨を呼び起こしてくれるのも、ドラマを見る大きな楽しみの一つだと思うんですよね。

 

 外注先から仕上がった動画を抱えて、雨の中、小走りで帰って来た青年。片手に動画、片手に傘。大方の視聴者の予想通り、見事にこけて、大切な動画は水たまりへ・・・。

 何より大切な動画、雨の中、むき出しで運びます?今までだって雨の日はあったでしょう。大切な「紙もの」を、むき出しで持ち運ぶ青年に誰も注意もアドバイスもしなかったのかな。それって、会社としてもいかがなものかと。

 

 これから書くことは、あくまでも私の記憶の中の昭和であって、何かで調べたとかではありません。地域やあるいは各家庭で違いはあったかと思いますので、その点をお含みおきの上、お読み頂ければと思います。

 今でこそ、レジ袋のお陰で買い物に行く際に手ぶらであったり、あるいは、少量の持ち物であればむき出しで手に持ったり、そんな事が当たり前の風景になりましたが、昭和40年代頃まではそうではなかったと思うんです。

 お母さん達は近所へのお買い物には、「買い物かご」を持ちました。子ども達も荷物があるお出かけに際しては、何らかの袋を持たせられ、むき出しで物を持ち運ぶのは「みっともない」こととされていました。デパートなどで高額の嵩張るものを買った時にだけ貰える「紙袋」は貴重で、時にはお金を出して「ビニールのかかった紙袋」を買ったりしたものです。

 さらに時代を遡ると、活躍していたのは「風呂敷」ですね。世の大人達が常に風呂敷を携行していたのは、昭和40年代始めまででしょうか。大きさ・形にかかわらず、出先で何かを手に入れると、「風呂敷ありますから」と言って、さっと包んでいた祖母や母の姿を覚えています。

 雨の日と言えば、私は実際に使った事はありませんが、「油紙(あぶらがみ)」というものの存在は知っています。紙の表面に薄く油を塗って、防水の働きをする茶色の紙があったのです。宅急便のない時代、荷物は郵便小包で送りましたが、水に濡れては困る物、あるいは水分がしみ出す恐れがあるものは、この油紙で厳重に包装したのだと思います。多分。

 

 今朝の「なつぞら」をみて一番がっかりしたのは、物の扱いがぞんざいだという点です。今でこそ、日本は豊かな国になって、あらゆる物が使い捨てになったり、粗末にされたりしていますが、昭和50年の時点で既にそうだったでしょうか。高度経済成長期を通過した時代とはいえ、まだまだ「もったいない精神」は庶民の間に根強かったと思うのですが。

 大事な大事な動画。油紙に包んで風呂敷で持ち運べとは言いませんが、作品としてという以前に、「物」を大事にする姿勢が描かれていて欲しかったなあと、残念に思ったのでした。

 ネット上では、何かと批判されることの多い『なつぞら』ですが、そんな中、常に好評なのは草刈正雄演じる「泰樹(たいじゅ)じいさん」です。今朝の、すっかり年老いたお爺さんを演じる姿も、「うまい!」という声がしきりのようです。

 まさに、寄らばたいじゅの陰、とはこのことでしょう。では。