結論から言いますと、「はあ?」って感じです。
「食べれる」は「食べられる」から「ら」が抜けた誤用ではありません。
(わ、ビックリ!「食べれる」と打ったら《ら抜き表現》って出た!ダイナブックよ、お前もか)
津軽でも下北でも、「食べれる」と「食べられる」は場面で使い分けられる、微妙にニュアンスの違う言葉なんです。
「食べれる」は自分の意思(嗜好・好き嫌いなど)といったものによる可能を表します。
一方、「食べられる」は意思を越えた外的な要因による可能の表現に使います。
例1
「私、ホヤ、食べれる」……嫌いじゃない、あるいは好きを意味します。
「このホヤ、まだ食べられる」……痛んでいない、腐っていないという意味です。
例2(写真参照)
「目あれば、食べれない」……恨まれそうで、口に出来ない(自分で決めてます)
「甲殻類はアレルギーあって、食べられない」……ドクターストップ(意思を越え
ています)
ただし。「食べれる」「食べられる」の違いは厳密なものではなく、混ぜて使っている人も居ます。でも、他人に好き嫌いを聞く場合は、津軽でも下北でも、ほとんどの人が「〇〇食べれる?」と聞きますね。返事は「食べれる」または「食べれない」。まれに「好ぎだんだけど、食べられないのさ、糖尿あって(泣)」
もう一つ。「ら抜き」ではないのですが、似た例を紹介します。「飲めない」と「飲まれない」。
例
「酒は飲めない」……下戸だという意味です。
「今日は飲まれない」……下戸ではないが、事情があって飲めない。(車で来た
とか、明日、胃カメラを飲むとか)
「酒は飲めない」と言われたら、「ノンアル?」とオーダーを聞き、「今日は飲まれない」と言われたら「車?」と尋ね、「代行、代行」と勧める。それが津軽の酒席のマナーです。
標準語って、方言に比べて歴史が浅いじゃないですか。そんな標準語を基準に「ら抜き」だの「日本語の乱れ」だの言われてもねえ。
無責任な「放言」としか思えないんですよね、方言ネイティブとしては。