おばあさん見習いの日々(ダジャレ付き)

1961年生まれ。丑年。口癖は「もう!」

変則的な絵画の楽しみ方

 昨日はブロンズ像の私的楽しみ方について書いたので、旅行記はいったん中断(でも関係あります)して、絵画についての私的楽しみ方も紹介しようと思います。

 

 1月14日は箱根を朝に発って、東京で、「三井記念美術館」と「東京国立博物館」を回りました。目的は、「お正月ならでは」をみるためです。

 「お正月ならでは」、それは「三井」では円山応挙の『雪松図屏風』、「東博」では長谷川等伯の『松林図屏風』です。どちらも、みたい、みたいとは思いつつ、なかなか機会に恵まれず、また、お正月には毎年出すらしいとは知りつつも、一月に東京に行く事なんて無いだろうと諦めてもいました。

 念願叶った今回の対面。

 結果は、「ああ、お正月した~」という満足感がありました。

 屏風そのものについては、イマイチ。勿論、傑作だとは思いました。技術的な素晴らしさも、素人だって分かるレベルで凄いです。でも変な言い方ですが、最初からあまり期待してはいなかったので。というのは、ちょっと前の記事で書いた、絵を前にして「来た~!」という程の感覚、感動に包まれるという「時」は、予期せずやってくるものだと知っているからです。期待値が高すぎると駄目なんですよね。でも、一縷の望みは持ってそれぞれの屏風の前に立ったのですが、やっぱり「来る」ことはありませんでした。

 でも、『雪松図屏風』はやっぱりめでたさにあふれていました。耳元で「春の海」の琴の音が聞こえます(笑)

 『松林図屏風』は、離れて見るのと間近で見るのとでは印象が全然違うんですよ。

 凄くない?

 そして、松林の遙か向こう、右角に「山」が描かれていると言うことにも、今回初めて気付きました。この山がいいのよ〜。

 本物を見なければ気付くことは無かったかもしれません。こういう、本物を見なければ分からない事って確かにあるし、そして、地方在住者にとっては、「見た」という経験自体が喜びとなります。一生に一度かもしれないもの。

 以上、観光旅行的絵画の楽しみ方です。

 

 そしてもう一つの楽しみ方、それは「良さが全然分からない。この絵のどこがイイって言うの?」と、気になってしょうがない「絵」にこだわるという、訳の分からない楽しみ方です。

 巨匠と呼ばれるような画家の作品を見ても、全然イイとも好きとも思えなくて、ほとんど素通りしてしまうような作品は多々あります。が、良さがさっぱり分からなくて、それなのにその絵が高い評価を受けていることの不思議が気になってしょうがない、妙な惹かれ方をしてしまう、そんな作品・作家もあるのです。

 歴史画の大家とされる安田靫彦(やすだゆきひこ)は、私にとってそんな作家の一人なのです。安田靫彦の画は皆さんどこかでご覧になったことがあるかと思います。

巨匠の日本画 (7) 安田 靫彦

こちらは『飛鳥の春の額田王』という作品です。切手にもなったそうです。

今回「東博」で写真にとったのはこちらです。 ↓

 安田靫彦項羽』。項羽に抱きついて嘆いているのは虞美人(ぐびじん)ですね。

 

 以前もこの絵の前に立って、「どこがいいのかなあ?」と考えた記憶があります。今回もあまり気になる(つまりは惹かれる?)ので、写真にまで撮ってしまいました。

 「色?私はあまり好きじゃ無いなあ」

 「線がいいのかなあ?でも私は分かんないし」

 「構図や人物のポーズも単調じゃない?人体ものっぺりしてるし」

 「この項羽中村獅童に似てるなあ」

と、こんな風にあれこれ考えさせられる、どこか放っておけない魅力が、安田靫彦の画にはあるような、無いような・・・。

 「分かんないなあ」を楽しむ、そんな楽しみ方もあるとお伝えしようと記事を書いたのですが、これはまあ私からの提案ということになりますかね。どうでしょうか?分かっていただけますでしょうか?

 訳わからんヘンテコな提案とお思いの方は、「愚や愚や」と一笑に付して頂ければと思います。では。