おばあさん見習いの日々(ダジャレ付き)

1961年生まれ。丑年。口癖は「もう!」

ブログ二周年だった。ダジャレ、頑張ります。

 昨日5月6日は、「私のブログ記念日」だった!忘れてた。二年前の昨日、息子その1からやり方を教えて貰って始めたのでした。

 「ダジャレを世界に向けて発信しよう」そう思って始めたブログ。とりあえず初志は貫いています。この調子でいきたいと思います。

 

 今日は知人のりんご畑にお手伝いに行ってきました。作業は「花摘み」です。

 りんごは適正な枝に適度な個数を実らせることで、品質のいい「玉」を収穫することが出来ます。そのため、摘果と言って不要な実は早い段階で摘み取るのですが、実の前の花の段階でも同じような作業、つまり「花摘み」を行うのです(私も今日初めて知ったのですが)。

 

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 こちらは「ふじ」です。今年出た枝(知人は[しんしょう]と言っていました。漢字では新梢かな?)にはまだ実らせないので、そういう花は全部落とします。また、花芽同士が近すぎる場合も、良さそうな方だけ残して邪魔な方の花・蕾は全部落とします。文字にすると簡単そうですが、とにかく[しんしょう]も含めてケースバイケースなので、見極めが難しく判断に迷うのです。

 私は素人なので「迷ったら残す」一択です。その方が、必要な花まで摘みすぎるよりは知人の心証がいいのではないかと。また、摘み過ぎて実がならず、しんしょう潰すようなことになったら、大変ですからね。

 

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 こちらは「紅玉」。紅玉は酸味が強い品種なので、生食用よりお菓子用として人気があります。「煮りんご」を作るときも、紅玉で作るとひと味違います。

 紅玉は果皮が真っなのですが、やはり蕾も真っ赤でした。その事を知人に言いますと、「その木によってそれぞれだよ」ということでした。「紅玉は蕾も真っ赤」は、素人の「知ったかぶり」でした。私も真っ赤、ちょっと酸っぱい思いです。

 

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 品種は「王林」です。一輪だけパッと咲いていますね。これを「中心花」と言います。そして、「王林」だけは、この中心花だけが実を付けるよう、回りの蕾を摘み取るのだそうです。「ふじ」などの他の品種は、摘むところは全部摘む、一花だけ残すということはしないのだそうです。知人も「どうしてかは分からないけど、そうなのよ」ということでした。

 中心花が代表を務める、まるでコンサートマスター(楽団員の代表)である、第一バイオーリンのようじゃないですか。

 

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 知人の畑からは、こんなに素晴らしい岩木山が眺められるのです。新型コロナウイルスの「自粛生活」からは、まるで「別世界のよう」でした。農業って楽しいなあ。

 

 外国人実習生が来日できなくなり、各地の農家が人手不足で困っているというニュースがありました。日本人を雇うのは「コスト」の面で難しいのでしょうが、「自粛生活のストレス解消」というメリット込みで、なんとか考えられないものか。

 自分自身が農業の楽しさを体験したうえでそんな事も思うのですが、と同時に問題点もハッキリ分かるのです。農業は素人が簡単に手を出せるような甘いものではないと。

 技術的な問題ももちろんありますが、まず第一に、肉体的・体力的に厳しいものがあります。ボランティアならともかく一人前の働き手としては、私などでは三日ともたないと思うのです。

 「農家の人はみんな、膝とか腰とか、あっち悪いこっち悪いって言うね」

 友人・知人との世間話で、こんな事を度々耳にするのですが、そうだろうなと思います。今日の私の作業は全然力の要らない仕事で、しかもお昼ご飯を挟んで半日ちょっとやっただけ。それでも「なんか疲れた、肩がこったかも」という感じです。農業って重労働だ。簡単に人手不足解消なんていかないよね・・・。

 

 ということで、最終的に何が言いたいかと言いますと、今日の記事がなんだかダラダラと、とりとめの無い内容になっているのは疲れているからなの、という言い訳なのです。「農」で疲れた私に「NO!」を突きつけないでね。では。