おばあさん見習いの日々(ダジャレ付き)

1961年生まれ。丑年。口癖は「もう!」

大高源吾と宝井其角

 弘前はかなりの積雪ですよ。昨日は、赤穂浪士が討ち入った日でしたが、こんな風に雪景色だったのかなあ、なんて考えてしまいました。

 

 四十七士の一人、大高源吾は俳人としても名高かったそうです。討ち入りを明日に控え、大高は吉良邸の様子を探るため、煤竹売りに身をやつしておりました。ちょうど、両国橋に差し掛かった時、俳諧の師匠・宝井其角に出会います。其角は大高に、つけ句を所望します。(其角が五・七・五を詠み、大高がそれに七・七を付けるという趣向です)

 其角 「年の瀬や水の流れと人の身は」

 大高 「明日待たるるその宝船」

其角は、「かつて武士であった者がこのような境遇にあるとは、水の流れの先と人の行く末はどうなるのかわからないものだ」と詠みました。

大高は、「そうですね。ひょっとすると、明日は水に宝船が浮かぶような、そんな目出度いことがあるかもしれませんね」と返したわけです。

 有名な「両国橋の別れ」の場面です。

 

 さて。芭蕉の高弟であった宝井其角の句に、

我が雪と思えばかろし笠の上 というのがあります。

 今日では、「我が物と思えばかろし笠の雪」という形が一般的になり、苦労も自分のためと思えば苦にならない、といった意味で、しばしば耳にします。

 

chokoreitodaisuki.hatenablog.com

 

 こちらの記事に書いたように、私には、将来孫が出来たら「ばってんおんぶ」をしたいという夢があります。

 「ばってんおんぶ」で朝の散歩に行き、

 我がものと思えばかろし背なの孫  と詠みたいのです。

でも、私には息子しかいないので、この句をお嫁さんに聞かれたら、

「お義母さんのものじゃありません!」と憤慨されるのは目に見えています。私も「嫁」なので、よ~くわかります。

 

 口は災いの元。四十七士のように、思いは固く心に秘めておいたほうがいいですね。

朝の、たくみに詠んだつもりの句で、お嫁さんにきらわれないように・・・。