弘前はかなりの積雪ですよ。昨日は、赤穂浪士が討ち入った日でしたが、こんな風に雪景色だったのかなあ、なんて考えてしまいました。
四十七士の一人、大高源吾は俳人としても名高かったそうです。討ち入りを明日に控え、大高は吉良邸の様子を探るため、煤竹売りに身をやつしておりました。ちょうど、両国橋に差し掛かった時、俳諧の師匠・宝井其角に出会います。其角は大高に、つけ句を所望します。(其角が五・七・五を詠み、大高がそれに七・七を付けるという趣向です)
其角 「年の瀬や水の流れと人の身は」
大高 「明日待たるるその宝船」
其角は、「かつて武士であった者がこのような境遇にあるとは、水の流れの先と人の行く末はどうなるのかわからないものだ」と詠みました。
大高は、「そうですね。ひょっとすると、明日は水に宝船が浮かぶような、そんな目出度いことがあるかもしれませんね」と返したわけです。
有名な「両国橋の別れ」の場面です。
我が雪と思えばかろし笠の上 というのがあります。
今日では、「我が物と思えばかろし笠の雪」という形が一般的になり、苦労も自分のためと思えば苦にならない、といった意味で、しばしば耳にします。
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こちらの記事に書いたように、私には、将来孫が出来たら「ばってんおんぶ」をしたいという夢があります。
「ばってんおんぶ」で朝の散歩に行き、
我がものと思えばかろし背なの孫 と詠みたいのです。
でも、私には息子しかいないので、この句をお嫁さんに聞かれたら、
「お義母さんのものじゃありません!」と憤慨されるのは目に見えています。私も「嫁」なので、よ~くわかります。
口は災いの元。四十七士のように、思いは固く心に秘めておいたほうがいいですね。
朝の、たくみに詠んだつもりの句で、お嫁さんにきらわれないように・・・。