昨日は「土下座」と日本の「家のつくり」の関係について、思うところを書きました。その後も、色々と頭に浮かんだことが有り、今日も、もう少しこの事について書いてみようと思います。
そもそも、「土下座」とは地べたに座って行う物だというのは昨日書きましたね。江戸時代に、町民・農民が大名行列に対して頭を下げる、あれですね。カンカン照りだろうが雨降りだろうがお構いなし、有無を言わさぬ絶対服従の上下関係のなせるところです。
さて、江戸時代から遠く月日は流れ、今日の日本の生活を考えてみましょう。
一般家庭では、日本の伝統的な「玄関で靴を脱ぐ」という生活様式が受け継がれています。ところが、公共の場所ではそうではありません。ほとんどが土足のままで建物に入るという形式です。また、病院や学校のように、内履き(という履き物)に履き替えるという場所もあります。
私の言いたいことはもうお分りかと思います。
本来は「地べた」で行う土下座ですが、今は建物の中でも、そこが履き物を履いて活動する場であれば、そんなところに座るというのは、十分「土下座」として成立するのかも知れないという事です。そして、もしかしたら、そのことが、今の若い人やテレビの中で、土下座要求のハードルが下がっている原因なのかも知れないと考えているのです。
月日の流れと言えばもう一つ。
「007」についてネットで、恐らく「若い人」だと思うのですが、次の様な書き込みをみました。
「ダブルオーセブンのことを、たまに、ゼロゼロセブンって言う人いるよね。なんで?」
私のブログ読者の皆さん、今、苦笑いしたでしょう?
お若い方よ、今でこそ「ダブルオーセブン」なんて呼び方をするけれど、昔の日本人はみんな、「ゼロゼロセブン」って言ってたんですよ。淀川長治さんだって、水野晴郎さんだって、「ゼロゼロセブン」って言ってはず(多分)。
では、今の私がなんと呼んでいるかと言いますと、「ダブルオーセブン」です。だって、息子に笑われたくないもの。
でも「007」をなんと呼ぶかは、相手によって変える必要があるかも知れないとも思ったのです。先日、実際に次の様な会話を交わしたからです。相手は70代の映画好きのお姉様です。
私 「この前映画館で、ダブルオーセブンみて来たの」
お姉様「ダブルオーセブンって、なんだっけ?」
私 「わー、ゼロゼロセブンさ-」
お姉様「ああ、ゼロゼロセブンかあ。どうだった?」
「土下座」も「007」も、時代と共に言葉の捉え方は変わって行きますが、相手によって受け取り方や、通じたり通じなかったりや、いろいろと行き違いが生じたりするあたり、言葉って本当に難しいものだなと改めて思います。
想像して下さい。「007」を「ゼロゼロセブン」と呼んで若い人に怪訝な顔をされる、ちょっとスッパイ思いが胸にこみ上げますね、「007」だけに。では。