ああ、今まさに「言葉は生きている」という現場に立ち会っているのだ、そんな気がしています。
言葉の意味を知るために辞書を引いて、「誤って生じた語である」という説明に出会うことがあります。
例えば、明鏡国語辞典(第二版)で、『どくだんじょう(独壇場)』を引きますと、
「独擅場(どくせんじょう)の「擅」を「壇」と誤って生じた語。⇒どくせんじょう
と、あります。
つまり、本来は「独擅場」が正しいのですが、今日では誤った方の「独壇場」がすっかり市民権を得てしまったので、言葉としては認めます。認めますが、辞書として解説するのは本来の語である「独擅場」の方ですよ、という事ですね。
このように、本来は間違った使い方であったものが、段々に世間に浸透していき、やがては許容される言葉となっていく。「言葉は生きている」とは、このような意味でもあるのだと思います。
最近、立て続けに「お持たせ」という言葉を耳にしました。一度目はテレビで、インタビューに答える若い女性が「お持たせに丁度いいです」と使っていました。二度目は、ラジオのテレフォン人生相談で50代の女性が、「そのお持たせが、800円ぐらいの物だったんです」と憤っていたのでした。
どちらも、お持たせ=手土産という意味で使っているのだなと、すぐに理解しました。そして、間違った使い方だなとも思いました。
確かに「お持たせ」とは「手土産」のことですが、「お持たせで失礼致します」などのように、特殊な場面で使われる言葉です。
「お茶菓子の用意が無いものですから、お持ち下さった手土産(お持たせ)を出させて頂きます。失礼をお許し下さいね」
こんな風に、頂いた側が手土産に対して用いる敬語表現なわけです。
と、偉そうに書いていますが、「お持たせ」なんて洒落た表現は私の実生活に登場することなど無い言葉です。でも、随分前から知っていたので、ドラマや小説や、そういったものから得たのだと思います。そしてそういう場合、よほど難しい言葉で無ければ、前後の文脈から言葉の意味を推し量って、理解・記憶するものです。
今回この記事を書くにあたり、私の勘違いであってはいけないと思い、ネットにあたってみました。
結果としては、意味は私が述べた通りでした。でも、驚いたのは、「最近では手土産と同じ意味で使う人(誤用)が増えている」という記述が、非常に多く見られたことです。なんと言っても「お持たせ」は敬語なのですから、「手土産」よりもお上品な感じがする、その点が特に女性にフィットするのではないでしょうか。このままいけば、いつの日か「お持たせ」が「手土産」の意味で使われるのが一般的になる、いえ、それどころか「お持たせ」の独壇場(独擅場)になる、そんな日がやってくるかも知れません。
私達は、一つの誤用が当たり前の言葉として広く使われるようになっていく、その現場に立ち会っているのかもしれないのですよ。と、歴史の目撃者になった興奮を感じて、一生懸命(一所懸命)書いてみました。
いつの日か、手土産という意味で「お持たせ」が一般的に使われるようになる日が来たならば、私は次の様に言いながら、訪問先で手土産をお渡ししたいと思います。
「お待たせ~、お持たせ~」
では。