おばあさん見習いの日々(ダジャレ付き)

1961年生まれ。丑年。口癖は「もう!」

007は土下座をしたのか

 『007』シリーズの最新作を(映画館で)みたのですが、映画そのものについての記事ではない事を、最初にお断りしておきます。

 

 映画の小道具や背景として、日本趣味がふんだんに盛り込まれているのですが、ビミョー。超ビミョー。外国の方の目にはいかにも「日本」なのもしれませんが、本物の日本人からみますと、ちょっと困ってしまうというか、なーんか違うんだなあ。

 まあ、その点はさて置きですね。

 ラミ=マレック扮する敵役の隠れ家(?)が畳敷きの和室でして、そこでダニエル=クレイグ扮する007が、頭を下げて詫びを入れるというシーンがあるんですよ。このシーンにつきまして、ネット上で次の様な書き込みを多々目にしたんです。

 「007の土下座なんて、みたくなかった」「ジェームズ=ボンドの土下座がみられるとは思わなかった」等々。

 何かおかしいと思われませんか?

 また、話はちょっとそれるのですが、Youtubeで『テレフォン人生相談』を聞いていましたら、

 「浮気した主人は泣きながら土下座して謝ったんですけど・・・」

 という内容の相談がありました。

f:id:takakotakakosun:20211111085131p:plain

 

 さて、本題です。

 この頃世間では、「土下座しろ」とか「土下座して謝れ」といった表現が、以前より頻繁に使われるようになったような気がしています。私が若かった頃は、土下座というのは決して日常的な言葉では無く、非常に重々しく苦々しい行為であったと思うのですが。

 そして、ここが大事な点なのですが、どうもその「土下座」という言葉が間違った使われ方をしているような気がするのです。「土下座」とは文字通り「地べた」の上に正座して両手をつき頭を下げる行為であり、畳の上の007や、(恐らくカーペットの上の)浮気したご主人は、正座して深々とお辞儀をしたのだと思うのです。土下座では無く。座礼の中の最敬礼というやつですね。

 では、なぜこのような「畳の上で行う礼」を土下座と勘違いする人がいるのでしょうか。私はそこには、日本人の生活様式の変化、つまり「家」のスタイルの変化が関係していると思うのです。

 私達の世代はかろうじて、「畳の上に手をついて挨拶する」ということが普通に出来ると思うのですが、子供達の世代は、かなりあやしいと思うのです。(きちんと躾の出来ていらっしゃるご家庭はのぞく)

 ほとんど椅子の生活をしていますと、来客も立ったままで「今日は~」と挨拶しますし、迎える側も立って、あるいはソファにかけたままという、出迎えた姿勢のままで「久しぶりですね」と応えたりしがちだと思うのです。双方がいちいち床(畳・カーペット・フローリング)に座って手をついたりしなくないですか?

 自分達がそういう状況なので、息子達がリビングに入ってきつつ、「ちわー」と軽く頭を下げるのも黙認。「挨拶したので良しとする」みたいな子育てでした。正座して座礼なんて、彼らの人生で何回経験しただろう?そんな我が家です。

 

 皆さんのご家庭ではいかがでしょうか?畳の上の座礼を土下座と勘違いしている、そういう方はご家族にいらっしゃらないでしょうか。これは言葉の勘違いをこえて、文化の問題に繋がるような気がするのです。座礼という文化の危機とでも言いますか。

 外国の方からみれば卑屈に見えるのかもしれない座礼ですが、美しい所作で行えば、和室の空気感にマッチしたたたずまいとなると思います。が、かくいう私自身も、所作なんて全然自信はないのです。

 ちょうどいい機会です。今年のお正月は、帰省した夫・息子達と、きちんと座って手をつき、「おめでとうございます」と挨拶を交わしたいと思います。何事も経験無しには始まらないですからね。

 

 最後に蛇足ですが、今回の『007』は正式タイトル007ノータイムトゥダイ』(原題: No Time to Dieでして、日本語に訳しますと、「死ぬ時間はない」とか「死んでる場合じゃ無い」となります。

 私の場合はですね白髪頭なので、DieではなくDye(染める)の方、 No Time to Dye(染めてる場合じゃ無い)って感じですかね。私も一応、こちらを愛用している

コニシ ボンド 木工用 50g(ボトル) #10122

  ボンド・ガール(?)なので、申し添えておきます(笑)。では。