おばあさん見習いの日々(ダジャレ付き)

1961年生まれ。丑年。口癖は「もう!」

『The Spay Who Loved Me』①

 タイトルは007こと「ジェームズ・ボンド」、シリーズ第10作目の映画の原題です。公開は1977年(昭和52年)。録画してあったものを2月の末に観ました。ロシアがウクライナに侵攻する、ちょっと前でした・・・。

 映画のストーリーは、イギリスとソ連諜報機関が、共通の敵を倒すために協力して事にあたるという、画期的と言いますか珍しいと言いますか、そういう内容です。現在の世界情勢で観るには、かなりスッパイ、スパイ映画です。

 1977年、私は16歳、高校一年生でした。1970年代、世界はどんな風だったのか。ちょっと調べてみました。

 

 第二次大戦後から、世界は「冷戦」と呼ばれる状態にありました。

 1960年代末からは緊張緩和、いわゆるデタントの時代となり、米ソ間で戦略兵器制限交渉(SALT)を開始。

 1972年、米ソ間の協定で核兵器の量的削減が行われ、世界が緊張緩和を実感。

 また、1972年はアメリカのニクソン大統領が中華人民共和国を訪問した年であり、日本(田中角栄首相)と中華人民共和国周恩来首相)が国交正常化した年でもあります。

 つまり、この頃、世界は「平和」に向けて大きく前進したのであり、そういう時代背景があったからこそ、英ソが協力するというようなストーリーの映画が制作されえたのだと思います。

 そして、1979年12月、アメリカは中距離核戦力を西欧に配備すると発表。同月、ソ連アフガニスタンに侵攻し、デタントの時代は終わりを告げました。

 ちなみに、ソ連諜報機関とは有名なKGBのことであり、プーチン氏がKGB出身であるというのは周知のことですね。

 氏は1952年生まれ。レニングラード国立大学を1975年に卒業し、KGBの対外情報部員として16年間勤務したと言うことです。

 映画と現実をごっちゃにするのは荒唐無稽ですが、ジェームズ・ボンドKGBの美人スパイとイチャイチャしながら任務に当たっていた1977年、プーチン氏は何をしていたでしょうか。新聞を切り抜いたり、コピーをとったりの新人仕事をしていたのでしょうか。KGBの新人仕事って想像もつきませんが。

 その1977年から45年の月日が流れ、KGBの新人は一国の大統領となり、世界を破滅させるかも知れないという暴挙・愚行を犯しています。平和というものがいかに脆い物であるか、痛感させられる出来事です。

 そして、『The Spay Who Loved Me』のようなストーリーの映画が生まれ、それを楽しめることがどれ程幸福なことであるかもまた、思わずにはいられません。

 

 本当はこの映画について、もっと軽い内容のものを書くつもりだったのですが、書いているうちにこういう内容になりました。予定の内容は②として書きたいと思います。では。