昨日の記事では息子その2から教えてもらったことを書いたので、今日は息子その1の出番です。(公平にしないとね)
しばらく前ですが、息子その1の口から「オーナーシップ」という言葉が出まして。初めて聞く言葉で、ビックリしました。「リーダーシップ」という言葉は昔からありましたけど・・・。聞いたことあります?
『人事労務用語辞典』によりますと、
「オーナーシップ」とは、個人と組織、個人と仕事との関係を示す概念で、担当する仕事を「自分自身の課題」と主体的に捉え、強い情熱と責任感を持って取り組む姿勢のこと。与えられた職務やミッションに対する自発性、経営に対する当事者意識、参画意識などがオーナーシップを形成する要素です。
なるほどね。「指示待ち人間」の反対みたいな概念なわけね。学校なんかでも、最近は「アクティブ・ラーニング」とか「グループ・ワーク」とか、自発性や参画意識を育てる流れがあるみたいで、つまりは、「オーナーシップを持った人材」を求める、「世の中の流れ」に対応しているわけね。
息子その1は、非常に「我」の強い性分なので、「オーナーシップ」は十分あると思うのですが、「シップ」だけでは仕事はできないと思うので、頑張って研鑽を積んでいって欲しいと思います。
さて、ちょうど、この「オーナーシップ」についての記事を書こうと思っていたら、
一年前の話題の記事として、こちらが紹介されていて、読ませて頂きました。
”出しゃばらず、言われた仕事はきっちりこなし、上司やパートナーの采配次第では抜群の仕事をやってのける人材が、自主性を求められる状況に直面し、困惑して、メンタルヘルスを損ねて来院する……というパターンは精神科では珍しくないものだった。”
こちらのブログ主さんは、オーナーシップのあるような人は勿論、ご自身のブログに書かれたような「自主性が乏しいけれども仕事が優れている人」も評価されるような、そういう社会こそが「多様性のある社会」ではないかとおっしゃっています。その通りだと思います。「多様性」と言うからには、いろいろなタイプの人が活躍できてこそです。では、なぜ今日では、「自主性の乏しさが罪」になってしまうのでしょうか。私が考えたその理由を、非常に卑近な例をあげて述べたいと思います。
理由の一つ目は、社会に「余裕」がなくなっていること。
パートナー(夫)に家事を手伝って欲しいとします。(我が家では、家事は私が担当。夫はあくまで”手伝う”というポジションです)。夫は「妻の采配次第では抜群の家事をやってのける人材」です。私に心の余裕があるときは「クイックル、かけて」とか「食洗機、お願い」といちいち采配を振るい、夫は見事に期待に応えてくれます。では、私に心の余裕が微塵もないときはどうでしょうか。私の心の声をお聞き下さい。
「はあ?私がこんなにてんてこ舞いなのに、何、一人でテレビ見て笑ってんの?言われなきゃ、何一つ手伝わないわけ?結構です。言われなきゃやらないような人に、手伝ってもらいたくなんかありません!自分でやった方が早いです」
采配次第では、と一口に言いますが、采配を振るうのも労力です。その分の余裕が無くては難しいのです。職場はどこもきっとギリギリの人数で回していて、昭和の頃のような時間の余裕も気持ちの余裕もないのでしょう。グローバル化の世の中の厳しさですね。
理由の二つ目は、機械化がすすんでいること。
パートナー(夫)に洗濯をお願いするとします。ただ「洗濯、お願い」と言っただけでは、すべての汚れ物を洗濯機に放り込んでスイッチ・オンは目に見えています。
そうじゃなくて、息子のジーンズは色落ちするから、後で。あなたが丸めて脱いだ靴下は伸ばして。私のタイツはネットに入れて。って、こんな指示をいちいちするぐらいなら、自分でした方がずっといいです。つまり、洗濯機が洗濯をしてくれる今日では、大事なのは洗濯物の仕分けに取り組む「情熱」「責任感」「知識」といった、オーナーシップに属する部分であり、仕分けがすめば後は機械がやってくれるのです。
采配を振るうのが人間の仕事だとすれば、それ以外の仕事は機械に取って代わられるか、「単価の安い仕事」として割り振られるようになるのだと思います。
書いていて、本当に恐ろしい時代になったものだと思いました。また、逆に、うちの息子その1のような、「協調性」を求められるような場が苦手な者にとっては、歓迎すべき風潮なのかも知れないとも思ってみたり。
一ついえるのは、良くも悪くも「同僚」は職場環境の一つなのですから、ギスギスした関係であるよりは「良い関係」であった方が絶対にいいに決まっています。
人間関係は最大のストレス要因です。同僚との軋轢によるストレス性の頭痛に悩んでシップを貼るより、「パートナー・シップ」というものについて一考してみるのもいいかも知れません。よりよい職場の人間関係を築く足がかりとなるかも知れません。
私も夫への采配のふるい方について、少し考えてみたいと思います。なんたって、采配次第では「出来る男」なのですから。ホントですとも。