「憤死した」って、何?って思いませんか?どういうこと?私はそういうの、凄く気になるたちなんですよ。で、憤死したボニファティウス八世について、ネットで調べたりするわけです。
世界史は興味あります。でも、得意ではないので、こんな風に、行き当たりばったりに「勉強」していきたいと思います。そして、「勉強」の成果をブログに書いて復習し、記憶の定着もはかりたい。よろしければ、お付き合い下さい。
先日、テレビがきっかけで、ローマ教皇・ボニファティウス八世についてググったんです。そうしたら、面白い逸話が次々と。
オマケに、彼ゆかりの大学の写真を、偶然にも持っていたことも判明したんです。
↓「ローマ・ラ・サピエンツァ大学」1303年、ボニファティウス八世により創設。
ボニファティウス八世は、学術・文化の保護者でもあった
ローマ教皇・ボニファティウス八世(1235年~1303年)とは。
①前任者のケレスティヌス5世を辞任に追い込む
そのやり方がエグい。部下に教皇の寝室まで伝声管を引かせて毎夜「辞めろ」と ささやき、教皇を不眠症にして辞任に追い込んだ。
(ちなみに、次に教皇が自らの意思により退任するのは、2013年のベネディクト16世)
②賭博・女・酒・美食が大好きで、「最後の審判」を信じていなかった
「自分の身さえ救うことの出来なかった男(イエスのこと)が、他人のために 何をしてくれようか」と公言したとされる。
③1303年、アナーニでフランス王の意を受けた者に捕縛され、退位を求めらるも拒絶。
顔をなぐられ、法王の印である「三重冠」を奪われ、さらに「祭服」も脱がされるという、屈辱・恥辱を味わう。(世に言う、アナーニ事件)
④救出されるも、翌月、高齢と腎臓病と③の精神的ダメージにより、死去
人々はこの死を「憤死」と表現した。(そういうことか!)
⑥ダンテを永久追放
ダンテは『神曲』で、ボニファティウス八世を地獄に墜ちた教皇として描く。
ざっと、こんな感じで、そのまんまでドラマに出てきそうな人物ですね。でも悪役ですね、絶対。「憤死」のイメージもつかめたので、スッキリです。
『ボニファティウス』とはラテン語の呼び方で、同じ人名をイタリア語では、『ボニファーチョ』と呼ぶのだそう。日本語の『太っちょ』とか『横っちょ』・『先っちょ』みたいで可愛らしいですね。
「ボニファーチョ、ちょっと」「ちょ、待てよ」なんて会話、楽しくない?