テレビのニュースで知ったのですが、嗽(うがい)の語源は「鵜飼い」なのだそうです。なるほど~!
そして、「鵜飼い」について検索したところ、長い間の自分の記憶違いも知ることが出来ました。
「おもしろうてやがて悲しき」と来れば芭蕉の有名な俳句ですが、続きはご存じですか?正解は「鵜舟かな」だったのですが、私はなぜか「鵜飼いかな」と思い込んでいました。
おもしろうてやがて悲しき鵜舟かな 芭蕉
名作ですね。篝火に照らされた鵜飼いの面白さにひとしきり興じた後。火も消えて闇の中を帰る道々、もの悲しさが胸に迫ってくる、という情景でしょう。
さて。
「うがい」という漢字には口偏の「嗽」の他に、サンズイの「漱」という字もあります。夏目漱石の漱ですね。「くちすすぐ」とも読みます。
昔、中国のある人が、「石に枕し流れに嗽(くちすす)ぐ」と言うべきところを「石に嗽ぎ流れに枕す」と言ってしまい、友人に間違いを指摘されました。ところが、負けず嫌いのその人は、「石に嗽ぐのは歯を磨くため、流れに枕するのは耳を洗うため」と言い返したそうです。その事から、「漱石枕流」とは負け惜しみの強いことを言うそうです。
自分を変わり者と任じていた夏目は、みずから「漱石」をペンネームとしたのだそうです。
東京帝国大学で教鞭を執っていた時代の漱石の逸話に、いつも片手を懐手にして講義を聴いている学生に注意したというものがあります。
「手を出しなさい」と叱責する漱石、無言のまま手を出そうとしない学生。みかねた別の学生が漱石に言います。
「先生、この男は事故で片手がないのです。ご容赦下さい」
漱石は顔を赤くし、教壇にもどり、しばらくの間うつむいていました。教室には気まずくシンとした空気が漂います。つぶやくように漱石は言いました。
「いや、失礼をした。だが、僕も毎日無い智慧を絞って講義をしている。君もたまには無い手をだしてもよかろう」
この話の、隻腕の学生に注意したというのは紛れもない事実で、その学生も特定されています。でも、後半の「無い手を云々」は、その時に言った台詞ではないという説もあり、実際のところは定かではないようです。
もし本当に言ったのだとしたら、「漱石」という名に恥じない「負け惜しみの強さっぷり」ですね。でも、とっさに上手いことを言ったものの、冷静になってみれば「言わなきゃよかった」と思う類いの負け惜しみというかウィットですね。
ウっと詰まった後の、正に、おもしろうてやがて悲しき台詞です。では。