おばあさん見習いの日々(ダジャレ付き)

1961年生まれ。丑年。口癖は「もう!」

善光寺「お戒壇巡り」

善光寺に行ってきました。

「お戒壇巡り」を体験しました。後悔が二つ

①お戒壇に降りる前に説明をちゃんと読まなかったこと

②所要時間を計らなかったこと

 

そもそも、善光寺の「お戒壇巡り」とは、

《内々陣脇の七段の階段を降り、床下の真っ暗な回廊を巡る。右手を腰の高さに保ち、壁伝いに歩くと、回廊の中程で『極楽の錠前』に触れる。これによって、御本尊様と結縁を果たし、往生の際にお迎えに来て頂けるという約束を頂く道場》なのだそう。

 

真っ暗な回廊って、文字通り真っ暗なんですよ。「ああ、今まで自分は真の闇というものを知らなかったのだ」と思い知らされるほどに真っ暗。壁伝いに歩きながら、「暗い、暗い、真っ暗。光がないって、こんなに暗いの?目の見えない人っていつもこんな世界?」とにかく、暗いということへの驚きばかり。

 

仏教用語で「無明」(真理に暗いこと。一切の煩悩の根源)というのがありますが、「お戒壇巡り」は象徴的でしたね、私にとって。

 真の闇を知らず、説明を読まずにお戒壇に降りて行ったため「極楽の錠前」という目的を知らず、ただただ、暗さにばかり気をとられ・・・

戒壇巡りを終えて、

 私「後ろの人が、錠前がどうの言ってたけど、何?」

 息子その2「階段降りるところに書いてあったじゃん」

 私「へっ?」

いつもの私は、説明文とか、めっちゃ読む人なんですよ。何故、今回に限って読まなかった!真っ暗で、説明を読んでいなければ絶対に気づけないのに、よりによって。ホントに象徴的な感じがしますね。

 

私の好きな「あの世ジョーク」に

「死ぬのって、初めてなんだよね。迷わず逝けるかな?」

「大丈夫、《お迎え》が来るから」

というものがあるのですが、私には《お迎え》が来てくれるでしょうか。心配です。(お戒壇巡りをして、ますます無明の闇が深まるとは・・・)

 

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「牛に引かれて」の善光寺だからでしょうね。森永乳業さんから贈られた「光子」さんが居ました。写真には写っていないのですが、「光子」さんの隣にはお母さんの「善子」さんも。

 

後悔の二つ目の所要時間について。

 真っ暗な中を歩いていると、時間感覚もなくなるんですよ。実際にどのぐらいかかっていたのか。思ったより長い時間だったのかそれとも短かったのか。次に行くことがあれば是非、計ってみたいものです。

 行くならば、次もやっぱり夏がいいですね。なんといっても「かいだん」は夏に付きものなのですから。