特に鳥が好きって訳でもないのですが、妙に目につくんですよね。
ミラノの鳩(6月6日記事)だったり、家の裏にキジが来たり(6月21日記事)、職場の窓の鍵がコトリ(6月22日記事)だったり、・・・。
下の写真は、先日、長野の「善光寺」を訪れた際のものです。奥の「山門」に「額」がかかっています。「善光寺」と書かれた「額」です。
この「額」こそ、有名な、知る人ぞ知る、善光寺の「鳩字(はとじ)の額」です。今から約200年前に書かれたものだそうです。
分かりやすくしますと、このようになっております。 ↓
なぜ、鳩字(はとじ)の額かといいますと、「善光寺」の三文字の中に、五羽の「鳩」が隠れているからだそうです。
「善」の1画目と2画目、「光」の2画目と3画目、そして「寺」の最後の点。
見えましたか?(ちなみに、善の字は牛の顔に見える、と言われているそう)
この説明文を見たときは、はっとしましたねえ。善光寺へは下調べもろくにせず、なんのピジョンもなく行ったんですけど、いろいろ面白かったです。
このような、文字の中に何かの絵を隠す、クイズのようなパズルのような「遊び」を「判じ物」と言いますね。テレビもネットもゲームもない時代の人々にとっては、大きな娯楽の一つだったことでしょう。
善光寺にお参りをして、有名な「鳩字の額」に五羽の鳩を探し出す。大の大人が夢中になって指さし、興奮し、見つけて大喜びする様が目に見えるようじゃありませんか。
昔の人のこういった楽しみを目にすると、「判じ物」にしろ、私の好きな「ダジャレ」などの言葉遊びにしろ、人間にとって「遊び」は欠かせないものなのだなあと改めて思いますねえ。ほらほら、よく言われるあの「車のハンドル」のたとえですよ。「遊び」は大事ってね。
(今日の記事も、最後、なんとなくまとまりがつきました。結果オーライということで。ハンドルだけにね)では。