「どんなに広い台所でも、女二人には狭い」って、聞いた事がありますか?
私は何十年も前からこの諺(?)を知ってはいるのですが、出所はちょっとわからないのです。が、初めて聞いたという方も、その意味するところはすぐにピンと来るかと思います。
先日の記事では、隣同士は諍いの元という、「距離」が近いからこそ揉め事は起きるのだということを書きました。所謂、嫁・姑問題という揉め事も同じです。
それまでは赤の他人だった二人の女が、いきなり「嫁と姑」という近い関係になってしまう。ましてや同居して一緒に家事をするとなったら、お互いの一挙手一投足が見えて見えて。しかも手足ばかりか口まで加われば、相手の一言一言が気になって、気に障って、どうにもしょうがないわけです。
『虎に翼』の花江さん。かつては嫁、今は姑のようなもの。あなたのモヤモヤ分かりますよ〜。でもね、彼女には二点、救いがあると思うのです。
一点目は、お嫁さんが外で働いている人だということ。一日中顔を突き合わせるわけではないですからね。
二点目は、花江さんが家事を苦痛とは思わない人だということ。
この二つは、寅子と、余貴美子さん演じるお姑さんとの関係にも当てはまります。余貴美子さんがお姑さん役で登場した時は、どんなに凄まじい姑ぶりを発揮するかとドキドキしました。が、予想に反して、ちょっと出来過ぎなぐらいいいお姑さんなのです。そして、「家事をして家族を支えるのが私の誇り」とまで言い切るのです。
賃金という報酬のある「仕事」と違って、家事はやって当たり前。美味しいお料理を作ってさえ、褒めて貰うこともないと言う方も多いでしょう。ましてや時代は昭和30年代。女が家事をするのが当たり前、感謝の対象などではないのですから。そんな家事を自分の誇りとして、自分の仕事として粛々とこなす花江さんや星家のお姑さんは、愚痴ることなく、嫁に当たる事も無いのでした。
キレイにまとめると、「上手に心の距離をとっている」ということでしょうかね。
ただね、どうにも気になる共通点がこのお二人にはあるんですよね。それは、「寄る辺なき身」であるということ。
花江さんは夫と実家を戦争で失い、幼い子ども二人と共に、義理の妹に養われる。
寅子のお姑さん(余貴美子さん)は、後妻で未亡人で実子は無し。
「帰る」家が無く、稼ぐ手段も無いとなれば、そこで頑張るしかないのです。そうならば、後は自分の気持ちの持ちようですかね。上手に距離を取るのは他人とばかりではなく、自分自身とも必要かも知れないですね。冷静に自分を見つめ、不平不満を溜めないために。
余貴美子さん演じるお姑さんのように、
「よは満足じゃ」と言うふうに暮らして行きたいものです。では。