おばあさん見習いの日々(ダジャレ付き)

1961年生まれ。丑年。口癖は「もう!」

打ちたいなあ、麻雀

今週のお題「投げたいもの・打ちたいもの」

 

 「退職後は麻雀を覚えて、集まって楽しもう」と約束し合ったイツメン(いつものメンバー)、私を入れて四人。機は熟したとばかり、二回ほど挑戦してみました。

 「みんな、役は覚えてきた?」

 「点数の数え方はよく分からないけど、そこは適当でいいよね」

 「とにかく、三個の組を四つ作ってペアが一組あればいいんだよね」

 「そうそう」

 こんな調子で、それぞれの自宅学習の成果を持ち寄ってやってみたのですが・・・。

 あれれ~、結構覚えたつもりだったのに、全然分かってなかった~。四人が四人ともこんな調子。

 「言葉が日本語じゃ無いから覚えにくいんだよね」

 「色々なケースが混じるから分からなくなる」

 「見たことが無いようなパターンが出てくるからさあ」と、例えて言うなら、一夜漬けで自信を持った劣等生が、実際の試験では手も足も出なかったみたいな、そんな感じです。

 でも、ちゃんと覚えられない理由として全員一致であげたのは、結局、「年をとったから」ということでした。本当に覚えが悪くなったし、覚えたつもりでもすぐに忘れてしまうし。そのくせ皆「負けず嫌い」は衰えず、よく分かっていないくせに考える時間は長い長い。考え込むから口数も減るし。

 

 私のイメージしていた麻雀は、軽口を叩いたり、くだらない冗談を言い合ったりしながらも、手はリズミカルに動いて、その合間に「ポン」とか「チー」とか「ロン」とか麻雀用語が飛び交って。そして、誰かの「うそー」とか「やめてよ~」と言った景気のいい悲鳴(?)が混じるみたいな。こういうのが「麻雀を打つ」ということじゃないですか?

 ああ、早くそんな麻雀が打てるようになりたいなあ。イツメンは勿論、他の麻雀に興味があるという友達とも、集まって打ちたいなあ、麻雀。積もる話をしながら。(ここ、すごい上手いシャレですよ、念のため)

 

 残念ながら今の私達ときたら、なにか難しい勉強会にでも参加しているかのような雰囲気なのです。皆眉間に皺を寄せて、憂国の志士のごとき鬱々とした表情で無言で牌を切る。「打つ」のではなく「鬱」な感じの集まりなのです。いかん、いかん。

 私の麻雀仲間のみんな、頑張ろう!頑張って賑やかに卓を囲もう!返事は「牌(はい)」だよ、麻雀だけに。

 ということで、今日は今週のお題にかこつけて、麻雀仲間に檄を飛ばしてみたのでした。読者の皆さんも、麻雀いかがですか。認知症予防にも大変イイらしいですよ。では。