おばあさん見習いの日々(ダジャレ付き)

1961年生まれ。丑年。口癖は「もう!」

③弟と下北半島旅

 仏ヶ浦からさらに南下し、下北半島の中でも最奥の地と言っても過言ではない、牛滝(うしたき)漁港に行きました。

 

 

 牛滝は人口わずか百数十人という小さな小さな集落なのですが、港には活気がありました。

 この牛滝集落について、どれぐらい辺鄙な場所にあるのか、今は休校となっている佐井村立牛滝小中学校についてのWikipediaの記述から、抜粋してご紹介したいと思います。

 

当校は本州で唯一のへき地等級5級の学校だった(2016年3月現在は4級)。

2019年4月1日より、牛滝小学校の在籍児童数はゼロ、2021年4月1日より牛滝中学校の在籍生徒数がゼロとなったため、小中学校は休校となった。

 児童・生徒たちの自宅は昼食時に帰って食事できるほど近い。

(今回ネットをあさっていて、この牛滝小中学校を十数年前に訪ねたという方のブログを読むことが出来ましたが、生徒たちは実際に昼食は家に帰って食べていたそうです)

 

 2016年にへき地5級から4級になったのは、道路が整備されたからでしょうか。

 この集落の中心には川が流れており、その川の河口に作られたわずかばかりの平地に、家々は固まって建っているのでした。世帯数は四十数世帯。

 その昔は、交通手段は船しかなかったらしいのですが、それでも北前船の寄港地として、それなりの賑わいはあったようです。

 

 そもそも、なぜ私たちがこの地を訪ねてみようと思ったか、その理由をこれから書きたいと思います。

 まず、弟が言いました。

 「昔、父親の車を借りてドライブしてて、牛滝って言うところに行ったことがあるんだけど、雰囲気あるんだよ。行ってみないか」

 牛滝!

 私の中で古い古い記憶が、誰ともわからない声でよみがえりました。私が小学生の時に(50年前!)聞いたセリフなのです。

 

 ○○先生が、今度の異動で牛滝小学校になった。牛滝というのは大変なところだ。

 赴任する人は靴が最低二足必要だ。足に履く一足。もう一足は手にはめて、四つん這いで崖を降りて行かなければならない、そういうところだ。

 

 源義経ばりの凄まじさじゃないですか。この話は私の心に強く強く印象に残りましたよ。牛滝!行ってみたい!よし、行こう。話はすぐにまとまりました。

 実際にこの目でみた牛滝は、青空の下美しい景色が広がり、港には活気があり、何よりも国道から降りて行く道路はきちんとした舗装道路で、苦も無く港までたどり着くことが出来たのでした。でも、これが50年前なら・・・。へき地5級の学校への異動が決まった先生は、どんな思いで受け止めたのか、察するに余りありますね。(給料25%増しとはいえ)

 

 私が写真を撮っているそばには、陸揚げされた船があり、一人の若者(とても若い)が、漁の準備をしていました。たいそうイケメンの彼は、輝くような金髪をしていて、細身の体でキビキビと作業をしていました。

 いくつぐらいかなあ。牛滝小中学校の卒業生なんだろうな。ひょっとしたら、最後の卒業生かも?

 そんな事を考えつつ、牛滝の景色を「モウ、充分(牛滝だけに)」と満喫した弟と、次の目的地へ向かうことにしたのでした。続く。