「アニマルウエルフェア」についてのNHKの番組をみた数日後、またまた「福祉」というものについて考えさせられる番組に遭遇しました。
その番組は「福祉」をテーマにしたとかそういうものでは無くて、そして私も「ながら視」だったので、印象的だった場面についてのみ語りたいと思います。番組の内容としては、NHKの昔の映像(昭和の白黒映像です)を、その地のゆかりの方々にご覧頂いて、思う存分懐かしがって頂こうと、そういったものでした。
私の目と耳をグイっと持っていたのは、次の様なシーンと、それを視ながら語る「地元の皆さん」の思い出話でした。
映像は白黒です。背景は海岸です。
小学生の女の子が笑顔でワカメを引っ張っています。カメラが引くと、他にも何人かの小学生男女が映り、皆が手に手にワカメを持っています。
映像に現在の音声がかぶさります。(ちょっと不正確です。ご容赦)
「懐かしいねえ。ワカメ、干したよねえ」
「修学旅行の旅費を稼ぐのに、皆でワカメ採ったんだよねえ。お金の無い家の子も多かったからね」
「そうそう、そのために漁協が一日許可してくれて、採らせてくれたんだよね」
上のやりとりを聞いた私に浮かんだ思いは、不思議な事に「昔の日本は豊かだったんだなあ」というものでした。画面に映っている村の様子や子供達の様子は、「豊か」にはほど遠いというのに。
話は変わりますが、少し前に「子ども食堂」を運営している方とお話しする機会がありました。その時の印象深かった言葉を紹介します。
「子ども食堂に来る子供さんは、ボランティアのお母さんの子供やその友達とかが多いんですよ。勿論、誰が来てもいいんですけれど。でも、普段一人っきりで食べているお子さんとか、あるいは家に食べる物が無いとか、そういう本当に来て欲しいお子さんがなかなか・・・。難しいところなんです」
私達大人がお互いに見栄を張って暮らしている事は、当たり前すぎるほど当たり前のことです。でも、子供だってそうなんですよね。見栄もあればプライドもあるわけで。むしろ、誤魔化し方のヴァリエーションが少ないだけ、子供の方が体面を守ることに必死かも知れません。
「ワカメを採って修学旅行に行こう!」
これが一つの児童福祉であることは間違い無いことです。そして、この方式の素晴らしいところは、誰も肩身の狭い思いをしないという点です。なんて豊かな社会だろう、そう思われませんか。
そんな時代から五十年以上も過ぎた今、果たして日本は、より豊かな社会になったと言えるでしょうか。「自助」とか「自己責任」といったことが声高に言われる昨今ですが、そう言いながら「ワカメ」は採らせない、そんな社会になってはいないでしょうか。
私の生まれ故郷は貧しい漁村だったということは何回か書いています。子供の頃には、遊び半分でワカメを拾い、母に褒められたという経験もあります。そんな昔をカイソウしながら(ワカメだけに)、今回の記事を書いたのですが、自分の60歳という年齢を踏まえると、これは決して社会批判ではないのです。この社会を作った側としての、反省の弁でもあるのです。
「子ども食堂」が必要な時代を作った側だという、そいう自覚を持って、welfare(福祉)というものに関心を寄せたいと、そういう反省の弁なのです。では。