おばあさん見習いの日々(ダジャレ付き)

1961年生まれ。丑年。口癖は「もう!」

welfare(福祉)について①

 最近たまたま視たテレビ番組で、心動かされることがあったので書いておこうと思います。

 一週間ほど前に視たNHKの番組なのですが、「アニマルウエルフェア」について特集していました。「アニマルウエルフェア」は直訳すると「動物の福祉」かな。番組では、養鶏場を取り上げていました。

 養鶏場の鶏、可哀想でした。ほとんど身動きも出来ない狭い狭いケージの中だけで一生を終えるのです。跳ぶどころか、歩くことも、羽ばたきをすることもなく、ただエサを食み卵を産むだけの生涯です。

 そこで、ヨーロッパ発の運動が紹介されました。「鶏にもっと自由を!私達消費者は、そのような鶏が産んだ卵だけを食べよう」というものです。鶏がもっと幸福に生きられるように、そして他の動物の福祉についても考えようという思想が、大きく広まっているのだそうです。日本でもその考えに取り組み始めた養鶏場があることが、紹介されていました。

 結局、コストの問題なんですよね。

 鶏を伸び伸び育てるには設備も人手も必要で、衛生管理の上でも現在の方法の何倍もの手間、つまりは費用がかかるそうです。特に、日本においては生卵を食べるという食文化があるために、外国以上の大変さがあると言うことでした。

 青森県って、卵が安いんですよ。普通の卵10個入りで200円前後。特売品は98円というのが一般的と言えるほど、あちこちの小売店で頻繁に売られています。私はその特売品を狙うことが多いのです。

 そんな私が、自分に問うてみます。可哀想な鶏に同情し、鶏のウエルフェアに賛同するというのならば、いくらまで、そのコストを負担しますかと。コストの負担とはつまりは価格です。

 1パック300円なら、1個30円かあ、まあいいでしょう。一人暮らしなので痛みは少ないです。でも、1個30円では「鶏ウエルフェア」の採算は採れないらしいのです。では1パック500円、卵1個50円、どうだ?ああ、厳しいなあ。卵1パック500円かあ・・・。

 「同情するなら金をくれ」という有名なドラマのセリフがありますが、身を切る覚悟が無ければ同情なんかしない方がまし、そういう事かもしれません。

 「可哀想という言葉だけならケッコー

 鶏が言葉を話せるならば、そう言うかもしれません。続く。