おばあさん見習いの日々(ダジャレ付き)

1961年生まれ。丑年。口癖は「もう!」

初めての八幡平④

 八幡平ビジターセンターで配布されているフリーペーパーに目を通したところ、興味深いものを発見。

 

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 地図のページでした。右の写真です。赤で囲んでおきました。「落馬記念碑」とあります。これは絶対に調べなきゃ。

 帰宅し、パソコンに向かったところ、予想以上の収穫がありました。旅行記というテーマからは大幅に外れるのですが、読者の皆さんにも一緒に面白がって頂ければ嬉しいです。私と一緒に好奇心という名の旅に出発しましょう。

 

 そもそも、八幡平が広く世の中に知られるようになったのは、ある新聞記者が昭和9年に、アサヒグラフに寄稿した文章がきっかけなのだそうです。その新聞記者の筆名を杉村楚人冠(そじんかん)と言います。

 東京朝日新聞の記者であった杉村は、昭和9年湯瀬温泉での会議に出席した後、八幡平登山に向かいました。その際、杉村は落馬というアクシデントに遭い、左腕骨折という重症を負ってしまうのです。が、その怪我のために一週間の滞在となった湯瀬温泉での毎日は、見舞客との宴会に次ぐ宴会という楽しいものでした。

 その一連の出来事を書いたのが9月5日号の記事であり、八幡平は急に全国に知られることとなりました。落馬記念碑はその翌年建立され、本来であれば落馬という不名誉なことでしょうが、杉村は除幕式に出席したということです。

 

 ここまででもかなり面白そうな人物なのですが、いくつか、更に面白い逸話を拾ったので紹介したいと思います。

 先にお断りしておきますが、杉村楚人冠は日本における新聞学の祖で有り、名文家として世に知られ、随筆家・俳人としても活躍した明治5年生まれの偉人なのです。知りませんでした・・・。

 

筆名「楚人冠」の由来

 「四面楚歌」の故事で有名な項羽は、「楚の人間は猿が冠をかぶっているようなものだ」=楚人冠、と嘲られたことがある。

 杉村はアメリカ公使館に勤めていたとき、似合わないシルクハットをかぶった自分は冠をかぶった猿のようだと、シルクハット置き場に「楚人冠」と印を書いた。そして、それを筆名としても使うようになったのだそう。

 そうよね、シルクハットは西洋人の小さい頭のためのものよね。横に広い日本人のデカ頭には似合わないわよねえ。杉村楚人冠の自虐センス、中々ですね。

 ちなみに、杉村は自虐ですが、項羽は残虐。上記の嘲りを言った人間は捕らえられ、釜ゆでにされたそうです。

 

あの唱歌の作詞者であった

 「牧場の朝」という唱歌は長い間、作詞者不詳とされていました。が、昭和48年、「牧場の暁」という杉村楚人冠の紀行文が発見され、「牧場の朝」は杉村の作詞であると判明したのです。また、この歌は福島県の岩瀬牧場を舞台としています。

 


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楚人冠ヨーグルト

 上に登場した岩瀬牧場で生産されている、大人気のヨーグルトが「楚人冠ヨーグルト」。ネーミングの由来は勿論、「牧場の朝」の作詞者である杉村楚人冠ですね。

 もともと美味しさには定評のあったこちらのヨーグルトですが、2018年にTV番組『秘密のケンミンSHOW』で紹介され、通販ではなかなか手に入らないようです。岩瀬牧場を訪れる機会があれば、是非買いたいと思います。落馬記念碑の楚人冠の名を冠したヨーグルト、ウマいに決まってますからね。

 

楚人冠と三島海雲

 杉村楚人冠西本願寺文学寮(現在の龍谷大学)で教鞭をとったことがあるのですが、その時の教え子に三島海雲という人物がいます。三島は卒業後、清国に渡ったものの、結局無一文で帰国します。しかし、内モンゴルで出会った乳酸飲料を商品化しようという計画がありました。楚人冠は自ら出資者となるだけではなく、自分の友人達を紹介します。こうして、大勢の人の応援を受け、紆余曲折の後に完成したのが、カルピスです。どうです?初恋の味にはほど遠い、シブい話でしょう?

 

 以上、八幡平の地図から思いがけず広がった、杉村楚人冠を巡る旅でした。お付き合い下さり、有り難うございます。嬉しいです。続く。