おばあさん見習いの日々(ダジャレ付き)

1961年生まれ。丑年。口癖は「もう!」

映画『壬生義士伝』をテレビでみてから散歩へ

 昨日、一時からNHKBSで中井貴一主演の『壬生義士伝』観賞。見終わって、四時頃かな、散歩に出ました。

 公園をグルグル歩きながら、さっき見たばかりの『壬生義士伝』について考えていました。

 主演の中井貴一の役どころは新撰組の隊士・吉村貫一郎

 吉村は盛岡藩の身分の低い武士でしたが、あまりの貧窮に、このままでは親子五人が冬を越せないと、脱藩という大罪を犯して新撰組に入隊するのでした。そして、命がけで得た金を、故郷で肩身狭く暮らす妻子に送るという道を選んだのでした。

 どうでもいいと言えばどうでもいいことなのですが、私が一番驚いたのは、この時代すでに、為替送金のようなシステムがあったということです。凄いなあ、江戸時代!

 と同時に、気になってしょうが無いのは、脱藩者が家族に送金することは許されたのかという事なんです。それじゃあ、脱藩じゃなくて出稼ぎじゃないですか。どこからもお金のだしようがないはずの吉村の妻がお金を持っている、すぐにバレますよね。ちょっと引っかかるんですよね。

 そして、もう一つ引っかかっていたのが、「なんで最後の最後、吉村は与えられた握り飯を食べなかったのか。恋い焦がれた南部の米の握り飯を」ということでした。ところが、やっぱり歩くと頭脳も活性化するというのは本当ですね。答えがパッと降りてきたのです。

 「脱藩した自分には、南部の米を食う資格はねえ」、そう言う事なんでしょうね。

 

 散歩した公園は「長四郎公園」というのですが、いままでに散歩した回数は数知れず、息子達が小さい頃から訪れている場所なのです。それなのに、この日の散歩で、初めて二基の石碑があることに気付いたのです。もしかしたら、今までにも目には入っていたものの、特に気にかけなかったと言うことなのかも知れませんが。

 

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 二つの石碑のうち、左側のものにハッとさせられました。それはきっと『壬生義士伝』を見たばかりだったからだと思います。妻子を食わせるために脱藩した吉村は大変子煩悩な男でした。その姿と重なったのだと思います。

 

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 膝の上に幼い子供を抱いた父親の姿に見えたんですよねえ。如何でしょうか。

 通い慣れた、見慣れた公園の風景ですが、しんせんな発見があった午後でした。では。