おばあさん見習いの日々(ダジャレ付き)

1961年生まれ。丑年。口癖は「もう!」

故郷は「遠きにありて思ふもの」、そうですよね

今週のお題「住みたい場所」

 

 今週のお題、「住みたい場所」、あれっ、前にも書いたようなキガスル・・・。なんと言っても、ローマです。

chokoreitodaisuki.hatenablog.com

  以前のお題は「住みたい街」だったのね。今回は「街」じゃなくて「場所」かあ。あるのよねえ、住みたい場所。でも、実際には住めない場所。それは故郷、生家ってやつですね。

 私の生まれ故郷は、とんでもない田舎です。実家は空き家になっていて、いつも「なんとかしなくちゃ」と、頭の片隅に重しのように住み着いています。取り壊して更地にするしかないのですが、いろいろと面倒で・・・。延ばし延ばしにしているのです。

 故郷には親類縁者ももはやおらず、ド田舎の宿命として同級生もほとんど地元を離れているので、人間的な繋がりとしては引きつけられるものはないのです。でも、一年のうち何度か、懐かしいという思いでいっぱいになって、なんとなくこみ上げるフレーズがあるのです。

 「帰りたい」

 不思議ですよね。特に好きと思うわけでもない故郷。帰る場所も、待っている人もいないのに、「行きたい」ではなく、「帰りたい」と思う瞬間があるのです。

 五月。弘前の桜が終わった頃、「実家の桜は咲いただろうか」「五月の海って楽しかったなあ」、そんな事が思い出されて、「帰りたい」、ふとそんな気が起きることがあるのです。

 真夏。弘前の暑さと来たら。前にも拙ブログで書きましたが、亜寒帯育ちの私は、暑さはあかんたい。ああ、帰りたい帰りたい。夏の間はずっと向こうにいたい。憧れるような思いで「帰りたい」と思ってしまうのです。

 そして真冬。本当に不思議なのですが、「寒さ」が恋しくなることがあるのです。冷え性で寒いのは大嫌いなのに。

 冷え込みの厳しい冬の朝。ゴミを出しに外に出ます。すると、日によっては刺すような冷え込みで、頬が麻痺するような「寒さ」です。その「寒さ」が「懐かしい」と思える不思議さ。弘前では時々感じる冷え込みが、そうそう、これこれ、冬の寒さはこうでなくっちゃ、そう思えるのです。

 「ああ、帰りたい。帰って、故郷の、あのビリビリするような寒さに身を置きたい」

 自分で自分が信じられない思いです。よりによって「寒さ」に懐かしさを感じるなんて。よく、「匂い」には記憶をよみがえらせる力があると聞きますが、私にとって「寒さ」もまた、記憶をよみがえらせるきっかけになっているのかもしれません。寒さ自体というよりも、寒さの中で経験した子供の頃の思い出が「懐かしさ」を運んでくるのでしょう。特にこれと言う形もなさないような、一つ一つはどうという事も無い些細な出来事が。

 でも、実際に「故郷」に住むことはありえない選択肢です。例え、新しい家を建てる経済力があったとしても。理由はいくつかありますが、二つ、大きなものをあげたいと思います。

 一つ目。寒い。尋常ではなく寒い。そして雪(弘前より降ります)。寒さが懐かしいなんて、住んでいないからこそ言える事だと分かっています。若いときでも大変だったのに、寒さが身にしみる年頃になって、より寒いところに行くなんて、絶対無理。水道管凍結の心配をしながら床につくなんて、今となっては考えられない事です。

 二つ目。病院がない!

 いっそ大病なら、どうにかなります。弘前に戻るという選択もあります。不便というか悲しいのは、眼科・耳鼻科・皮膚科・歯科といった、ちょこちょこ気軽に行きたいような診療科受診が、一日がかりの大仕事になることです。これからますますその手のメンテナンスが必要になりますからね。

 

 ということで、私の「住みたい場所」は「故郷」なのですが、悲しいことに、そこは「住みたくない場所」でもあるのでした。「遠きにありて思ふ」に留めておくのが吉。そう思います。室生犀星の詩のとおり、「悲しくうたふ」結論になったのでした・・・。では。