おばあさん見習いの日々(ダジャレ付き)

1961年生まれ。丑年。口癖は「もう!」

③置かれた場所で咲いてみた

 お年寄り(お婆さま方)が十人前後集まって、月に一度健康のために行う「体操教室」。場所は町内会の「会館」と呼ばれる建物です。

 まず「あれっ」と思ったのが、これから体操をするはずのスペースに、パイプ椅子が円形に並べられていたことです。なるべく角に近い、目立たなそうな場所を確保しました。インストラクターが二名みえられましたが、やはりかなり年配の男性の方でした。ですが、さすが体操のエキスパートらしく、背筋のスッと伸びた贅肉の無い体型をなさっておいででした。

 「では、いつもの音楽に合わせて準備運動から」

 えっ、「いつもの」って、私、わかんないんですけど。一呼吸遅れでついていくしか無い!そう考えて少し焦ったのですが、全くの杞憂でした。ゆっくりとした前奏で始まったのは、『リンゴ追分』。そのメロディーにのって行う動きもまた、ゆっくりゆっくりしたものだったのです。インストラクターの掛け声に合わせて動く私は、初めてとは思えない完璧な動作で、腕をさすったり、膝を曲げ伸ばししたりしていました。

 準備運動が終わって、体の各部位を鍛えるのに効果的な運動を順番に行っていきます。この時も、私はインストラクターの指示通りの動きがちゃんと出来るのです。特に圧巻だったのは、「では、次は片足立ちです。右足で立って、十数えましょう」と言われた時です。

 最初から椅子につかまってやっと立っている方や、途中でよろめいて両足をつく方々の中、私は10秒間、見事に片足で立っていました。右足に続いて左足だって出来ました。パーフェクト!参加者の中で一番「出来る人」だったかもしれません。

 その時私は思いました。「今、私は、置かれた場所で咲いている」と。(ちょっと違うか?)同級生の中では「芋虫」だった私も、70代・80代の中では「蝶」なのです。チョー気持ちいい~。

 「ある意味、状況って大きいなあ」、そう思いました。自分に合った状況に身を置くことの大切さとでも言いますか、背伸びするばかりがいいわけじゃないという気になりました。

 人が成長するためには、高い目標を掲げ、それに向かって努力することが大事なのは分かります。と同時に、身の程を知るということもまた大事な事なのではないでしょうか。それはつまり、「足るを知る」ということに繋がると思うからです。特に、年配になればなるほど、そうあるべきだと思います。もう伸びしろはほとんど無いのですから。

 「置かれた場所」が不本意でも、そこで咲いてみれば、気持ちのいい風が吹いたり虫がやって来てくれたり、実を結ぶことだってあるかも知れません。

 そしてもう一つ思ったのは、「置かれた場所が不本意」というのはあくまで主観であって、客観的には「お似合いの場所」なのかも知れないということです。実際、今回参加した体操教室、なかなか楽しかったのです。なぜなら「出来た」から。私には「ちょうどいい場所」なのかも知れません。次回の参加も検討したいと思います。

 ご縁があって置かれた場所です。楽しげに咲いてみようかなあと思います。でも、咲けるのかなあ?ちょっと心配です。だってほら、70代・80代に比べたら、60才なんてまだまだ「つぼみ」なんだもの・・・。(今誰か、その口をつぼんでろ!って思いましたね)では。