おばあさん見習いの日々(ダジャレ付き)

1961年生まれ。丑年。口癖は「もう!」

②山野草はそのネーミングも素敵

 皆さんは日本史は得意ですか?私は大変苦手です。ということで今日は私と同じ「日本史苦手読者」に向けて書きたいと思います。ネットで調べた付け焼き刃知識ですが、お付き合い下さい。

 

 まず、登場人物について説明します。

 平敦盛(たいらのあつもり)……平清盛の甥にあたる。笛の名手。一ノ谷の戦いにおいて、17歳で落命。

 熊谷直実(くまがいなおざね)……もとは平家に仕えていたが、源頼朝御家人となる。後に出家して法然門徒となり、蓮生(れんせい)と号した。

 

 次に、この二人の関わりについて、幸若舞(こうわかまい:能や歌舞伎の原型といわれる)の演曲『敦盛』のストーリーから、かいつまんで書きます。

 

 須磨の浦で退却となった平敦盛は、愛用の横笛を取りに戻ったため退却船に乗り遅れる。そこに通りがかった熊谷直実。敦盛の格式高い甲冑から平家の有力武将であろうとみて、一騎打ちを挑む。直実が組み伏せた敵の首を討とうとその顔をみると、我が子とかわらぬ年頃の若武者。直実は泣く泣くその首を討つ。

 戦いは源氏方の勝利に終わるが、若い敦盛の首を討った苦悩は深く、やがて直実は出家を決意する。

 

 私が昔、「クマガイソウがあればアツモリソウもあるはずだ」と聞いたのは、この事を言っていたのだと思います。昔の人は歴史上の逸話に詳しいですよね。そういう「文化」があったのでしょう。

 こちらが、そのクマガイソウです。(昨日も載せましたが)

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由来は、アツモリソウともに、膨らんだ形の唇弁を昔の武士が背中に背負った母衣に見立て、源平合戦熊谷直実(くまがい なおざね)と、一ノ谷の戦いで彼に討たれた平敦盛(たいら の あつもり)にあてたものである[2]

 Wikipediaからの引用です。

 私は、「クマガイソウ」「アツモリソウ」の名前の由来は昔から何となく知っていました。そして今回、本当に「何となく」だったと思い知らされたのです。

 というのは、「母衣(ほろ)」とは何か、全く分かっていなかったということが分かったからです。名前の由来は、何か二人の武具に因むらしい、というところで思考はストップしていました。

 今回初めて知った、「母衣」というものがこちらです。

 

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 海の中の敦盛と砂浜から呼び止める直実。

 二人の背中で大きく膨らんでいるのが母衣。母衣は鉄砲出現前には、矢や石をよける実用的武具だったそうです。博物館などで何回か武具甲冑の展示を見たことがありますが、母衣は存在さえ知りませんでした。ね、日本史苦手と言うだけあるでしょう。

 ついでに、こんな可愛い画像もあったので、ご覧下さい。

 

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出雲伊波比神社の流鏑馬まつりより Wikipedia

 確かに「クマガイソウ」は「母衣」を連想させるものがありますね。もの凄ーく納得のいった今回の名前のいわれ調べでした。

 さらに、「なんで今まで繋がっていなかったんだろう」と、悔しい思いをした「発見」もあったのです。

 人間五十年、下天のうちを比ぶれば、夢幻の如くなり

 この一節は、織田信長が好んだということで有名です。それは『アツモリ』という演目の中の歌詞であるということは知っていたのですが、アツモリ=敦盛という認識は無かったのです。そうだったのか~、幸若舞の『敦盛』であったのか~!

 

 「人間、一生勉強だ」とは聞きますが、本当にいくつになっても知らないことは尽きませんね。更に、知ったつもりで上っ面を撫でていただけということが分かったり、勉強不足を痛感させられる現在。「若いときにもっと勉強しておけば良かった」と、後悔の決まり文句が頭に浮かびます。

 でも、失った時を嘆いてもしょうが無い。これから先、物忘れと格闘しつつ頑張って行くしか無いでしょう。「母衣」でボロを出しつつも、自分で自分をホローしていくのでした。では。

(話は違いますが、今は「あつもり」と言えば、任天堂の「あつまれどうぶつの森」のことらしいですね、では)