おばあさん見習いの日々(ダジャレ付き)

1961年生まれ。丑年。口癖は「もう!」

不思議で不可解で不愉快な「新聞記事」

 5月3日の「東奥日報」の記事に、2017年、生活保護受給者4人が減額決定を取り消すよう青森地裁に提訴したというのがありました。

 記事の中で、受給者の生活がいかに困窮しているかを示すためか、Aさん(記事中では実名)の家計について詳しい言及がありました。

 

年金と生活保護を合わせてもAさんの収入は月約9万円。受給者は車を持てないため、職探しは難しい。アパートの家賃は月2万5千円。13~15年の減額後は食事の回数を1日2回、1回当たり100円以内に収めている。衣料品は年に1回下着を2~3枚買い替えるぐらい。冬は20年以上使う反射式ストーブで寒さをしのぎ、灯油代節約のため午後7時には就寝する。

 

 この記事を読んだとき、「これはネットで叩かれるだろうな」と思ったのですが、予想通り、ネットのあちらこちらで厳しいコメントが寄せられていました。

 

 9万円から家賃を引くと残りは65,000円。食費が1食100円×2回×30日で6,000円。残金の59,000円は何に使っているのか。どうせ、(以下略)

 

 これらのコメントを読んで、私は当然だと思いました。誰もが当たり前に感じる疑問点だからです。そして、そのような疑問を抱かせた責任が誰にあるかと言えば、この記事を書いた記者と新聞を発行した新聞社にあると思います。

 このような記事を取り上げた新聞社の姿勢としては、「弱者に寄り添う」というものだったろうと思います。ところが意に反して、結果的には「背中から撃つ」というものになってしまいました。

 私は本当に不思議でならないのです。私もこうやって拙いながら文章を発信しているわけですが、「言いたいことが正確に書けているだろうか」「誤解を生むようなことはないだろうか」と、書き終わった後には必ず読み返します。ましてや、新聞社です。「記者が書いた記事をチェックする」という機能が二重三重にあるはずだと思うのです。誰も、この「残金は何にいくら使っているのか」という疑問を持たなかったのでしょうか。もっと書きようがあったはずです。全く不可解。そしてネット上にうずまく怨嗟に近いようなコメント群を読むと、それを生む原因となった記事が不愉快でなりません。

 

 ネット上の厳しいコメントを読んでいるうちに、ブルーな気分でザ・ブルーハーツの有名な曲『TRAINーTRAIN』の一節を思い出しました。

 弱い者達が夕暮れさらに弱い者をたたく   では。