おばあさん見習いの日々(ダジャレ付き)

1961年生まれ。丑年。口癖は「もう!」

植物の巧みな巧まざる生存戦略

 昨夜偶然視聴したEテレの、『植物に学ぶ生存戦略 話す人・山田孝之』という番組が面白かった。

 ツバキ・フクジュソウ・ドングリ、それぞれの生存をかけた巧みな戦略を、俳優の山田孝之がNHKアナウンサー・林田理沙を相手に淡々と解説していく。

 その内容は本格的でありながら、無理矢理と言ってもいいような擬人化がなされ、また、山田の林田に対するアヤシイ視線も相まって、「どうしたEテレ、いいのかEテレ」という面白さがあった。

 

 

 西麻布という街は、セレブが集う「選ばれし者の街」であるということだった。番組では、そんな西麻布が西麻布たり得る秘密は、ツバキと同じ生存戦略にあると説いていた。

 西麻布には最寄り駅というものがないのだとか(地方人なので初耳)。そのため、西麻布は電車を交通手段とする庶民には近寄り難い場所ということになる。さらに、そこにある飲食店は客単価が高いうえに、「会員制」などの形式をとっている、庶民にはますます敷居が高い店が多いということであった。

 番組では、これら西麻布の特徴は、他に先駆けて晩冬に咲く花・ツバキの生存戦略に、そのまま当てはまると説明していた。

 ツバキが咲く頃、虫たちはまだ活動を始めていない。せっかく花を咲かせても、花粉を運んでくれるものがいなくては意味が無い。そこでツバキが狙いを定めたのがメジロなどの鳥類だと言うのだ。ごく少量の花粉をチマチマ運ぶ虫が庶民だとしたら、寒い中やってきてくれ、大量に花粉をまいてくれる鳥は、いわば「太い客」。

 さらにツバキは、鳥の長い嘴で無ければ花粉に届きにくいような花の形状になり、春になっても、やはり「私のお客さんは鳥だけよ」と言わんばかりの存在であるらしい。一見不利と思われる冬に咲くことによって、小さな「虫」に比べればセレブとも言うべき「鳥」を常連とし、ツバキは花粉を確実に雌しべに届けて貰うことに成功しているのだった。

 

 さてここからは私の想像だが、恐らく西麻布の「夜の蝶」も、その姿は庶民には手の届かないような「高嶺の花」なのだろう。花粉の代わりに脂粉をまとい。そして、植物の生存戦略は「自然」であるのに対し、夜の蝶達は、セレブを常連客として沢山のお金をばらまいて貰うよう、意図的に戦略を練っていることだろう。コロナ禍の中、心から「頑張って」と声援を送りたいと思う。

 

 

 昨年4月、ミチタネツケバナという帰化植物についての記事を書いている。 

chokoreitodaisuki.hatenablog.com

 

 まだ三月だというのに(青森県だというのに)、我が家のわずかばかりの「土」に、早くもそのミチタネツケバナが咲いている。道路の向かい側の地面は、少し日当たりが悪いためか、ミチタネツケバナはまだ葉っぱを広げているだけだ。代わりに、葉っぱを囲むようにハコベが花を咲かせている。

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ミチタネツケバナの花。葉っぱだけのミチタネツケバナハコベの花。


 私が子供の頃は春一番の花と言えば、薄くなった残雪を割って顔を出すフキノトウだったが、その地位はミチタネツケバナハコベに取って代わられてしまったのだろうか。いの一番に花を咲かせるというのも、何かしら生存に有利な面があるのだろうと思うのだが、それゆえに一番争いは熾烈なものとなるのだろう。

 どうも、生存争いは帰化植物に軍配が上がることが多いようで、残念な気がしている。それは単純に「日本ガンバレ」といった気持ちでもあるし、子供の頃の見慣れた風景が変わっていくことに対する、寂しさでもあるのかも知れない。では。