おばあさん見習いの日々(ダジャレ付き)

1961年生まれ。丑年。口癖は「もう!」

「損は身代わり」言葉の力

 私が子供だった頃、今は亡き母がよく口にした言葉「損は身代わり」。

 私や弟達が何かをなくしたり壊したりしてがっかりしていると、そう言って慰めてくれました。

 昔はどこの家庭も今よりも貧しかったし、経済状態ばかりではなく、子供に何かを買い与えることについては、現代の子供よりも厳しいものがありました。

 そんな時代でしたから、やっと買って貰った大事な何かを失うのは本当に辛いことでした。さらに「母に叱られるかも知れない」という思いも加わって、一層くよくよしています。そこに思いがけない優しい声でかけられる、「損は身代わり。災難から守られたんだよ」という慰めの言葉。本当に救われる思いがしたことをくっきりと覚えています。

 何年たっても忘れられない言葉というものがありますが、子供の頃に身に染みついた言葉は、特に忘れがたいものです。あれから何十年もたちましたが、何かを壊したりしたとき、私の脳裏にすぐ浮かぶのは「損は身代わり」という母の言葉です。

 

 先日、長年愛用していたマグカップを落として壊してしまいました。20年以上使っていると思います。白い磁器の、それほど厚手でもないのに頑丈なカップで、コーヒー・紅茶を一日に何杯も飲むのに、ずっと壊れずに手許にありました。

 それがとうとう。「形あるものはいつか壊れる」の例に漏れずです。

 ガチャンといった瞬間、ショックを受けるより先に、「これは相当がっかりするぞ、私は精神的ダメージを受けるぞ」という予感のようなものが脳裏に浮かびました。そして、次に浮かんだのは「損は身代わり」という言葉で有り、その次にやっと「あ~あ」という思いがやって来た、そんな風な思考の順番だったような気がします。

 ショックはショックでしたよ。まさか長年の相棒をこんなにアッサリ失うことになろうとは。少しの間、茫然ともしていたかもしれません。でも、すぐさま気を取り直して自分で自分のフォローに入りました。

 

 損は身代わり。

 このマグカップが身代わりを引き受けてくれるほどの災難は、きっともの凄く大きいものだったんだ。そうだ、このコロナ禍の世の中だもの。私や家族や、誰の身に何が起こってもおかしくない。それを代わってくれたに違いない。

 

 私は性格的にも楽観的な方ではありますが、それでも、嫌なことがあったときに気持ちを切り替えるには何か「きっかけ」は必要です。「心の拠り所」と言ってもいいかもしれません。

 言葉というものは本当に不思議ですね。たかが言葉一つがその拠り所になったりするのですから。私の場合、物質的損害にクヨクヨしない魔法の言葉が、「損は身代わり」なのです。

 「損は身代わり」は、私にとって本当によく効く魔法のクスリのような言葉なのですが、それはきっと、その言葉が母から与えられたということが大きいのだろうと思います。言葉の意味だけではなく、母に守られている、そういった感覚も含めて、効果抜群なのだと思います。言葉というものは私達が思っている以上に、不思議な力をもっていると思わされます。良い効き目の、耳にも口にも快い言葉に出会いたいものですね。では。

 

※ダジャレがなかったので、オマケを書きます。母つながりで思い出した、昔、知人から聞いたジョークです。

 孟子の母は「孟母(もうぼ)三遷」で有名で厳しいイメージだけど、お父さんは暖かい人だったらしいよ。孟父(もうふ)だけに・・・。  では。