おばあさん見習いの日々(ダジャレ付き)

1961年生まれ。丑年。口癖は「もう!」

澄むと濁るで大違い

 私は「言葉遊び」のたぐいが大好きなのですが、それは私に限ったことではなく、時と場所を越えて日本人全体に言えることなんだと思います。きっとその理由は「同音異義語」が多いという日本語の特性に絡んでのことなのでしょう。

 

 「世の中は、澄むと濁るで大違い」で始まる言葉遊びは聞いたことがありますでしょうか。私は三つ知っています。

 世の中は、澄むと濁るで大違い。ハケに毛が有り、ハゲに毛が無し。

 世の中は、澄むと濁るで大違い。ザルは引っ掛け、サルは引っ掻き。

 世の中は、澄むと濁るで大違い。福は徳有り、フグは毒有り。

 

 この「澄むと濁る」は子供の頃から知っていたのですが、随分久しぶりに思い出しました。そのきっかけとなったのが、こちらの写真です。

 

f:id:takakotakakosun:20200928101654j:plain

 

 知人が、「彼岸花が咲いてるから」と呼んで下さって、写真を撮らせてくれたのです。南の方の方は「彼岸花は珍しくもないでしょ?」と思われるかも知れませんが、青森県あたりでは貴重なんですよ。「これが有名な彼岸花か~」と、立ち止まって眺めるレベルです。群生なんて、とてもとても。

 ネットで調べたところでは、彼岸花はかなり古い時代にやって来た外来種で、非常に強い植物なのだそうです。強い外来種というものは、普通はあっという間にあちらこちらに勢力を広げるものですが、彼岸花は人が住んでいるところにしか生育していないのだそうで、その理由が「へ~」なのでした。

 日本の彼岸花は、自然の「三倍体」という染色体の数が特殊な植物で、種を作ることが出来ないのだそうです(種なしスイカのように)。ゆえに、種で勝手に増えると言うことは無く、人間の手で球根が植えられて初めて芽を出すことが出来るのです。

 また、その球根は強い毒があるため、害のある生き物除けのために、田んぼの畦や墓地といった特定の場所に植えられることが多いのだそうです。

 

 さて、そんな彼岸花ですが、別名「曼珠沙華」とも言いますね。字面といい、音と言い、そして墓地周辺に彼岸の頃に咲くことといい、凄く仏教的な感じがします。ところで、「曼珠沙華」、皆さんは何と読まれましたか?普通は「まんじゅしゃげ」ですよね。

 

 でも、こちらの山口百恵さんの曲の題名は「曼珠沙華」と書いて「まんじゅしゃか」、名曲です。是非、お聞き下さい。 


山口百恵 伝説の名唱 曼珠沙華

 

 「まんじゅ~しゃか~」と、百恵さんが情感たっぷりに歌い上げるのですが、ここはやっぱり「しゃか~」ですよね、「しゃげ~」ではなく。

 

 作詞は阿木燿子氏。氏のこだわりの部分でしょうね。ちなみに、曼珠沙華サンスクリットの音訳なので、「マンジュシャカ」と読むこともあながち間違いではないようです。いずれにしろ、「か」と「げ」の違いにこだわるところ、作詞家という言葉のプロはさすがだなと思わせられます。清音か濁音かで印象が全く変わってしまう、まさに「澄むと濁るで大違い」なのです。

 

 そう言えば阿木燿子氏の名字ですが、「あぎ」ではなく「あき」と読むのが正しいそうで、ペンネームにもこだわりというか美意識があるのだなあと、そんな事を思うの一日なのでした。では。