おばあさん見習いの日々(ダジャレ付き)

1961年生まれ。丑年。口癖は「もう!」

五木寛之氏は信頼できる方だ!と思ったこと

 5月19日の「東奥日報」朝刊の、作家の五木寛之氏のエッセーについてです。『新・地図のない旅』という週一の連載で、その第72回です。

 

 氏は、毎日まめに足を洗う習慣があって、外から帰ってくるとまず足を洗うそう。それも、適当に洗い流すのではなく、足指の一本一本に名前をつけて、丁寧に洗うそうだ。そして、前にも書いたと思うが、と断った上で、その名前を紹介していた。

 

 私はこれを読んだとき、ハッキリと思い出しました。確かに同じ内容を以前にも読んだことがあると。しかも、それは何十年も前のことなのです。雑誌か何かで読んだのだと思うのですが、その時確かに氏は、「足指一本一本を丁寧に洗う」と書いておられました。

 「本当だったのね」と、失礼な事を思ってしまったのは申し訳ないですが、それと同時に「凄いな~」と本当に感心させられたのです。

 私などは何事も長続きしない質で、「体に良いから」と始めたこともなかなか習慣化しないのです。足の指を丁寧に洗うなんて、面倒だし効果は目に見えるものでも無いし。それを一貫して続けているとは。「この方は信頼できる!」そう思いました。なぜとは上手く説明できないのですが、そう思ったのです。

 

 同じ日の21面に太字の大見出しがありました。

  PCR検査数伸び悩み と。

 横書きの中見出しには、 

  県「件数を絞っていない」 とあり、その下の小見出しには

  新規感染数鈍化反映か 相談も減少傾向 とありました。

 

 私の明鏡国語辞典によりますと、

 伸び悩む・・・伸びそうでいながらある段階で停滞し、それ以上は伸びずにいる。

 とあります。辞書には明確に書かれていませんが、私の感覚として、「伸びる」とは望ましいこと・喜ばしいことに使う言葉で、「伸び悩む」とは負のイメージがある場合に使われる表現です。

 小見出しにあるように、新規感染数の鈍化を反映してPCR検査数が減ったのであれば、それは喜ばしいことであり、「伸び悩み」ではなく、「減少」と言うべきではないでしょうか。なんだかこの記事は信頼できない、そこまで思ってしまいました。

 言葉に持つイメージは人それぞれの部分もあり、私の感覚が絶対と思っているわけではありません。でも、少なくとも新規感染数鈍化という喜ばしいニュースは、まずはハッキリと喜ばしい見出しを目にしたいと思うのです。

 

 五木寛之氏の上のエッセーに、「中心部も大事だが、末端こそ重要」とありました。新聞記事も内容ばかりでなく、見出しも大事にして欲しいと思います。人間も中身が大事とよく言われますが、みだしなみもやっぱり大事ですよね。では。