おばあさん見習いの日々(ダジャレ付き)

1961年生まれ。丑年。口癖は「もう!」

「さらし木綿」について思ったこと

 3月からマスクを手作りしています。使用してる生地は「さらし」です。さらしもマスク需要であっという間に入試困難になったようですが、私の手元には在庫がありましたので。その在庫と言いますのは、亡くなった姑の形見ということになります。

 姑が亡くなった後タンスを整理していて、結構な量のさらしを発見しました。そう言えば、実母(17年前に亡くなりました)からも、「ついでにさらしを一反買ってきて」と頼まれた記憶もあります。

 マスクを縫いながら、なんで母親の世代はさらしを持ってるんだろう?何に使っていたんだろうと疑問でした。

 「私は妊娠したとき、腹帯で巻いたよ」

 「ねぷたの時に巻く人いるよね」

 「着物を着るときの補正とか?」

 回りに聞いてみると、色々答えはあったもののどれも非日常的で、どうも私の二人の母の用途としてはピンとこないのです。

 そうこうしているうちに、ぼんやりと思い出したのが、小豆あんをこしらえていたときの実母の姿です。煮た小豆を漉すときに使っていた白い布製の袋、あれさらしだったかも?でも、記憶はボンヤリとしたもので、確証は持てないでいます。

 若い人からみれば十分「昔の人」に属すだろう私でも、さらしが日常的にどのような用途があったのか、もう分からなくなっているのです。

 

 私はご飯は土鍋で炊いています。特にこだわりがあるわけではないのですが、炊飯ジャーよりも速く炊けるし、一人暮らしに保温機能は必要ないので。それに、やっぱり美味しいような気がするし。

 炊き上がって蒸らしが済んだ後、しゃもじでかき混ぜます。その後蓋をしてまた少し置いておくのですが、蓋をする際、鍋と蓋の間に布巾を一枚かませます。土鍋で炊くようになった最初の日から、当たり前のようにそういう流れです。いわゆる、体が覚えている、という事なのでしょう。

 しゃもじでかき混ぜるのも少し置いておくのも、余分な蒸気を逃がしてご飯をふっくらさせるためです。その際、蓋で水滴となった蒸気が再びご飯に落ちるのを防ぐ、という役割が布巾にはあるわけです。

 電気釜登場以前、あるいは電気釜以外の炊飯方法を知っている人にとっては当たり前の「かき混ぜて布巾をかぶせる」という流れ。ひょっとしたら若い人にとっては、見たことも聞いたことも無いものかもしれません。私が「さらしって、日常で何に使ってたの?」という疑問をもったように、炊いたご飯に布巾がかぶせてあるのを「?」と思う若い人もいるでしょうね。でも、見たことがあればいつか思い出す日もあることでしょう。そして、場合によっては、やってみるかもしれません。

 というのはね、この文章を書いているうちに、私、思い出したんです。

 「さらしで布巾を縫ったことある。それも花布巾ってやつ。昔、キットを買ったことある」って。

 ちょうど、土鍋にかぶせていた専用布巾がだいぶくたびれて来たところです。新しい布巾を縫おう!

 今使っているその布巾は、100均で凄く気に入った柄のものを買って楽しく使っていたものなのですが、そうなんですよ。「安くいいものが簡単に手に入る」、この今という時代、これが手作りを阻む大きな理由ですね。でも、時はまさに外出自粛・引きこもり推奨。こんな時には「何かを作る」ことは暇つぶしは勿論、精神衛生上もとても良いように思います。

 材料は家の中を探ればいくらでもありそう。布巾キットはあのふきん、という心当たりもあるし。大昔のキットもきっと見つかると思います。見つからなければ手持ちのさらし(最近、お友達が売っているお店を見つけて、一反買って来てくれました。感謝)でオリジナルで縫うし。出来上がりの良し悪しにかかわらず、完成したらブログにてさらしますので、その際は暖かい目でご覧下さいね。では。