おばあさん見習いの日々(ダジャレ付き)

1961年生まれ。丑年。口癖は「もう!」

コロナウイルスが教えてくれたこと

  コロナウイルスで、気分が滅入りがちのこの頃ですね。冷静に、正しく恐れたいものです。

 

 皆さんは「医療資源」という言葉はご存じでしたか?私は今回のコロナウイルス騒ぎについての記事をネットで漁っていて、初めて目にしました。勉強になりました。

 医療資源には、人的資源(医師・看護師・保健師介護士等々の、医療、保健、福祉従事者等々)、物的資源(病院・保健所・医薬品等々)、財的資源(とにかくお金)、情報資源(医療記録等々)があるそうです。そして、ここが大事だと思うのですが、当然それらには限りがあるわけです。

 「医療資源」という言葉と抱き合わせのようにネットで目にした言葉に、「医療崩壊」という恐ろしいワードがありました。押し寄せる大量の患者によって病院が機能しなくなってしまう、医療従事者が過労や感染症で次々と倒れる、そのような状態を指して使われているようです。実際に武漢ではそれがおこり、悲惨な状況を訴える動画がYouTubeにアップされたりしました。

 

 もしも明日、私が発熱したとします。

 いつもの年であれば、病院嫌いの私は取りあえず自宅で「大事にして」様子をみます。「へたに病院に行って他の病気を貰うほうが恐い」とか理由をつけて。そして、インフルエンザ以外であれば、たいてい自力で治します。

 でも、今年はちょっと状況が違います。「ひょっとして、コロナ?」まずその不安が頭をもたげると思います。いくら政府が「自宅で様子をみて」と言ってもそれは一般論であって、いざ自分の身となったら・・・。ほとんどの人は軽症で済むとは言っても、私は50歳以上というハイリスクグループだし、何といっても一人暮らしは不安だし。

 けれども。

 けれどもですよ、ここで思い出さなければならないのが、せっかく知った新しい知識、「医療資源」という言葉です。限りある資源はできるだけ有効に使われなければなりません。仮に、ちょっと風邪っぽいと不安で受診した私が、希望通りコロナウイルスの検査を受けることになり、その結果が陽性だったとします。陽性と出た以上は、治療法があろうとなかろうと入院隔離となるのだと思います。そんな人が何十人何百人と出てごらんなさい。たちまち「医療崩壊」となり、真に入院加療が必要な人がはじき出されることになるわけです。

 無職で一人暮らしで、そんな私だからこそ出来る社会貢献の一つが「医療資源」の節約に励むことではないでしょうか。毎日の生活に気を付け、風邪をひかないようにする。万が一ひいてしまった場合は例年通り慎重に行動し、経過を記録しつつ、いよいよとなったら病院へ行く。

 幸い、普段から簡単に食べられるものは食品棚や冷凍庫に常備してあります。4、5日なら家に閉じこもって暮らす準備はできています。

 

 考えてみれば、医療費が国の財政を圧迫している今日、私たち高齢者一人一人が健康に留意し医療費の削減を目指すことは義務であり、何かと恵まれない若い世代に対するささやかな贈り物となるのではないでしょうか。

 今回のコロナウイルスをめぐっては、あまりにも事態が急激で大規模で、不安でオロオロしてしまいそうになるのですが、そこは亀の甲より年の劫。こんな時こそが、どっしりと構えて若い人に見直されるころな、そんな風に考えてみようと思います。では。