おばあさん見習いの日々(ダジャレ付き)

1961年生まれ。丑年。口癖は「もう!」

遠足の思い出ーアツギむつナイロン

 NHK総合『チコちゃんに叱られる』を見終わったところです。

 

 いや~、懐かしい~。私の故郷、青森県下北半島にあるむつ市が紹介されたのです。ストッキングの生産シェア日本一の町として。

 むつ市にあるストッキング工場とはATUGIさんのことで、正式な社名はともかく、地元では「アツギナイロン」と呼ばれ、50年以上の歴史ある工場なのです。

 昭和40年代。私の村では、中学校を卒業した女の子は「アツギナイロン」に就職し、工場内にある「昼間定時制」に通うというのが大きな選択肢でした。男の子は中卒で漁師になるというのが、それと同じぐらい普通だったと思います。私が中学を卒業する頃はギリギリ50年代に入り、全日制の高校に進学するのが当たり前になりつつありましたが。

 

 小学校低学年の遠足だったと思います。遠足は年に二回ありまして、一回は徒歩で、もう一回はバス遠足だったように記憶しています。そのバス遠足で訪れた「アツギナイロン」のことは強く印象に残っているのです。

 遠足の後、図工の時間だと思うのですが、工場の絵をかきました。私は絵はとても苦手で、いつも楽しさよりもイヤイヤ感が大きいのですが、その時の工場の絵は、特につまらない思いで描いていた記憶があります。

 何がいやだったかというと、それは色ですね。絵が苦手ということはデッサンができないということなので、せめても色は楽しく塗りたい。ところが、「アツギナイロン」の工場は壁も床も地味な薄緑(だったと思います)、働いている人の服装も地味色、おまけに製品のストッキングは肌色ばかり(だったと思います)。

 我ながら下手だと思う絵に、パッとしない色を塗る作業のつまらなさ。うんざりしていた自分の心情が、工場全体に漂っていた化学薬品のニオイのように、うっすらと、でもいつまでも消えずに残っているのです。

 幼心に、働くということの苦しさが、なんとなく分かった工場見学だったのかもしれません。

 

 さて。

 「アツギナイロン」のストッキングと言えば、「フルサポーティ」。

 それまでのナイロンストッキングには無かったフィット感は感激物でした。価格は少々お高めでしたが、その分丈夫だったので結果的にはお得と思い、愛用しましたねえ。最近はスカート自体あまり履かなくなったのと、夏の暑い盛りにはソックスで凌ぐので、ストッキングを買うことも滅多に無くなりました。今はどうなんでしょう?どういった製品が売れ筋なんでしょうかね。

 流行に弱いのが女性のサガですが、中でもストッキングの流行には、とりわけ敏感だと思うんです。だって、でんせんするでしょう?ストッキングだけに。では。

 (ちょっと今の時期に「でんせん」ネタはどうかとも思ったのですが、我慢できなかった。これが私のサガです)