おばあさん見習いの日々(ダジャレ付き)

1961年生まれ。丑年。口癖は「もう!」

初めての「リンゴもぎ」

 仕事をやめて時間が有り余っているので、半年の間に、リンゴの「実すぐり」や「葉取り」を少し手伝ってみたりしました。そして、ここに来て、いよいよ「リンゴもぎ」の時期がやって来たわけです。とは言っても、周りの畑ではほとんど収穫が終わってしまい、私の知人の畑だけが妙に赤いのでした。

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 春に行う「実すぐり」とは、実がなりすぎないように、邪魔な実は摘み取る作業です。実がなりすぎると、小玉で形が悪くなったりして、上等なリンゴが出来ないかららしいです。よその畑ではもっともっと摘み取って、こんなにたくさんは実らせないようですが、知人の所では諸般の事情により、写真のような盛大な実りです。

 秋になってりんごが十分に大きくなると、「葉取り」「玉まわし」を行います。有袋栽培の場合は、その前に「袋はぎ」があるようです。「葉取り」はりんごの回りの葉を摘み取ることで、太陽の光をあたり易くし、着色(赤くなる)を進めるために行います。でも、どうしても、太陽が良く当たるところ・当たらないところが出来てしまうので、日が当たらなくて白っぽいところを日が当たる方に向けてあげることを「玉まわし」と言います。

 知人のところでは、「葉とり」もよそより控えめで、緑の葉っぱの中に赤いりんごのコントラストが、私達シロートの中にある、りんご畑のイメージそのものでした。

 それにしてりんごの葉の元気なこと。同じバラ科のサクラがその葉を真っ赤に紅葉させているのに対してまだまだ緑。一生懸命に光合成を行って実を育てているんだなと思いました。

 

 どうです、皆さん。ここまで読んだだけでも、りんご栽培って凄く手間のかかるものなんだなと思われませんか。でも、ここに書いたのはほんの一部にすぎず、冬の間の剪定から始まって、肥料をやったり、薬をかけたり、袋を掛けたり、支柱を立てたり、一年中休む暇なく作業は続くのです。

 そうやって迎える実りの秋。たわわに実ったリンゴを目にする嬉しさ、私でも嬉しいもの、農家の皆さんの喜びはどれ程かと思いますね。

 知人から、「せっかく実すぐりや葉取りをしたんだから、出来たりんごをもいでみて」と声を掛けて頂いて、恐る恐る手をかけてみました。恐る恐るというのは、昔から津軽の常識として、「りんごはつるがついた状態で無いと売り物にならない。りんごをもぐ時は、とにかく、つるが取れないように注意して」と聞いていたからです。私に出来るだろうか。ここまで育ったりんごが私のせいで売り物にならなくなったらどうしよう・・・。

 結果は全くの杞憂でした。「りんごもぎ」は実に簡単だったのです。というのも、果物はきっと、なんでもそうなのでしょうが、熟したものは自然に枝から離れる準備が出来ていて、軽く手を添えてあげるだけで、「ポクッ」という快い手応えで私の手中に収まるのでした。りんごもぎ、楽しい~、肩は凝るけど。

 りんごをポクッ、ポクッともぎながら、ふとりんごの木の気持ちを考えました。ずっしりと実った、たくさんの実をもぎ取られるりんごの木は寂しいだろうか。それとも肩が凝る私とは反対に、文字通り肩の荷を下ろしてほっとしているのだろうか。

 りんごの木の気持ちなんて、おかしな事を考えるものだと自分でも思うのですが、りんごという果物には不思議とそんな事を思わせる何かがあるような気がするのです。

 有名な『リンゴの唄』には、

 りんごは何にも言わないけれど、りんごの気持ちはよく分かる

というフレーズがありますね。

 また、西洋では「知恵の実」とされているように、どこか人間との特別な心のつながりがある果物のような気がします。皆さん、りんごをもっと食べましょう。(露骨な宣伝です)

 

 私の生まれて初めてのりんごもぎ。模擬ではなく、いきなり本番でしたが、上手く出来て良かったです。あなたが、今年どこかで口にする青森県産りんご、ひょっとしたら、それ、私がもいだりんごかも。「りんご娘」ならぬ「りんごおばさん」の手でごめんね。でも、美味しいよ。では。