おばあさん見習いの日々(ダジャレ付き)

1961年生まれ。丑年。口癖は「もう!」

ノートルダム・ド・パリからの『あしたのジョー』

 全世界に衝撃のニュースとして伝わった、ノートルダム・ド・パリの火災。残念です。

 

 ノートルダム・ド・パリとは、パリのノートルダムという意味です。(ノートルダムとは私たちの貴婦人、つまり聖母マリアのことです)

 なぜ、わざわざ「ド・パリ」をつけるかと言いますと、ノートルダムと名付けられた聖堂はフランス中、フランス語圏中にあり、区別するために必要だからです。そして、数あるノートルダムという名の聖堂の内、最も格式の高い、「大司教座」の置かれているのがパリのノートルダムであり、日本では、「ノートルダム大聖堂」と呼ぶのです。

 

 また、『ノートルダム・ド・パリ』は、ヴィクトル・ユーゴーの小説のタイトルとしても有名です。昔は『ノートルダムのせむし男』というタイトルでしたが、差別用語という問題点から、現在はそのようになっています。また、この小説を原作としたディズニー作品は、日本では『ノートルダムの鐘』というタイトルです。

 さて、このヴィクトル・ユーゴー作『ノートルダムのせむし男』と私との出会いは、小学生時代に遡ります。(なので、「せむし男」で書きたいと思います)

 と言っても、私は小説を読んだのではありません。私が読んだのは、マンガ『あしたのジョー』でした。

 

 白木葉子が学生劇団を引き連れて、少年院に慰問に行きます。白木葉子はヒロイン「エスメラルダ」の役です。そして、ジョーに会いたい一心の丹下段平が、醜いせむし男「カシモド」を引き受けます。舞台の上で実際にむち打たれる段平。それを見たジョーは憤り、白木葉子の美しい容姿の中の、冷たい心を見透かすのです・・・。

 『あしたのジョー』は男と男の物語として読まれることが多いと思うのですが、ラブストーリーとしても一級品だと思うんです。白木葉子の想いもそうですが、もう一人、ジョーに心を残しつつ、西と結婚するのりちゃんも切ない。だって、ジョーにとっては女は二の次、ボクシングこそ命の炎をかき立てる、運命の相手なのですから。そして、命の炎が燃え尽きたあと、真っ白な灰になってしまいます・・・。

 昨今の恋愛至上主義にはほど遠い価値観、「男は仕事」の昭和でしたからねえ。感慨深いものがあります。そして、現代でも、恋愛と他の事との綱引きでもめる男女は後を絶たないことでしょうね。男脳と女脳の間にはやっぱり埋めがたい溝があるらしいですものね。ちょっと話がそれました。済みません、この辺にします。

 

 余談ですが、テレビアニメの主題歌「あしたのジョー」は有名ですが、作詞は劇作家・寺山修司であり、彼は青森県弘前市の生まれです。寺山は力石徹のお葬式も主催しています。なかなかパンチの効いた人物なのです。では。