おばあさん見習いの日々(ダジャレ付き)

1961年生まれ。丑年。口癖は「もう!」

なぜ遺跡は「発掘」されるのか

 以前に、自然科学においては「問題」を発見することがいかに難しい事であるか、というようなことを書いたような気がします。が、それは決して自然科学に限ったことではありませんね。

 何でも「当たり前」の事だと思い込んで暮らしていると、「不思議」だと思うこと、「なぜ?」と疑問に思うこと、そういった心の動きを見失いがちです。別に見失っていても何の不都合もないのですが。逆に、普段見失っているからこそ、「虚を突かれた」ような不思議に出会うと、驚きと感動が大きいような気もします。大人だからこそ、子どもよりも深いところで、「なぜ」の答えを味わえるのかも知れません。

 

 ローマに行ったことがあります。遺跡の宝庫ですよ。有名なコロッセオのように、地上に威容を誇る遺跡もありますが、ローマ市内、いたるところの地下には、何層にもなって遺跡が積み重なっているのです。なんで?なんで遺跡が層をなしているの?

 ちょっとした疑問から、帰国後、ネットで調べてみたところ、タイトルの一文に出会ったのです。

 なぜ遺跡は「発掘」されるのか? 

 えっ!

 虚を突かれたでしょう?お前はもう思案している、状態になりますよね。

 確かに、日本でも遺跡と言えば「発掘」。地下鉄を作ろうと地面を掘ったら遺跡出現、工事業者、大迷惑。そんな話もよく聞くような・・・。

 勿論、火山の噴火や地震や河川の氾濫と言った、自然災害で町ごと埋まってしまうこともあります。その上に新しい町が築かれれば、当然、古い町の建造物は遺跡となって地下に眠ることになります。このような例は現代の私たちにも理解しやすいというか、すんなり納得出来るものです。

 対して。古い時代、重機などがなかった時代ですね。そのような時代にあっては、古くなった建造物や大規模な火災等で荒廃した町並みを再建する場合、取り壊して更地にする労力・コストよりも、土砂で埋め戻して、その上に新たに町を建設する方が容易だったのだそうです。そのようにして、地層のように町が積み重なったのが、地下に眠る古代ローマの遺跡なのだそうです。

 同じ事は、日本でもありました。私の読んだ文章では、長岡京と、平安京の左京・右京の例で説明していました。以下に、簡単にまとめます。

 長岡京は遷都の後はうち捨てられ、間もなく水田に戻されたのだそうです。一度水田に戻されると、それ以上土砂が積まれることは無かったので、長岡京の遺跡は水田の地下、3~40㎝の深さに埋まっていたのだそうです。

 平安京の場合。もちろん、左京も右京も同時期に造られました。ところが、埋まっていた深さが、全然違っているのだそうです。左京区は人が多く住んだため、荒廃しては土砂で埋めて新しい町が造られるということが繰り返されたため、遷都直後の遺跡は、3メートルの深さで埋まっているのだそうです。対して、右京区は捨て置かれていた期間が長く、埋め戻しの回数が少なかったため、遷都後の遺跡は、1メートル掘れば出てくるのだそうです。

 遺跡はなぜ埋まっているのか。

 ちょっとした疑問を掘り起こしてみると、実に深い、それでいて、当然と言えば当然の答えに行き着くものなんですね。

 改めて、「なぜ?」を発見することの偉大さに思いを深くしたのでした。

 

  ローマ「アルジェンティーナ神殿跡」 

 ここは、あのシーザーが暗殺されたとされる場所でもあります。そして、現在では、野良猫の保護施設として活用されているそうです。きゃっと驚かずにはいられません。

 

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