おばあさん見習いの日々(ダジャレ付き)

1961年生まれ。丑年。口癖は「もう!」

「こんまり」こと、近藤麻理恵さんの凄さ

 昨日の記事は、パソコンで「すぱーく・じょい」と打って変換すると、「スパーク・女医」って出るんです、というところまで書きました。

 「スパーク・女医」って、私のイメージとしては、マスコミなんかで持て囃されている、売れっ子の女医さんって感じで、元祖は「西川史子先生」かなと思ったんですけど、突如として、「ドクトルチエコ」という懐かしいお名前が浮かびまして、決まり!と思いました。それにしても、懐かしいお名前。なんで、昔の事って思い出せるんでしょうね。昨日、何を食べたかも思い出せないのに・・・。

 

 近藤麻理恵さんに話を戻します。Netflixで彼女のドキュメンタリーを見ていて、驚かされたことがあります。それは、彼女の雰囲気が、およそ5年前、彼女が日本のテレビに出ていた頃と、ほとんど変わっていないという点です、睫毛がちょっと派手になったかな、と言うぐらいの変化です。二児の母になり、「アメリカンドリーム」を実現したと言われるほどの成功を収めているにもかかわらず。

 一言で言うと、自然体ということでしょうか。アメリカ人を相手にしていても、間に通訳さんを挟みますが、気負わず、ぶれず、淡々と自分の流儀で事をすすめていきます。

 最初は必ず、彼女独特の「家への挨拶」から始まります。床に正座して背筋を伸ばし、「祈り」と「瞑想」の中間みたいな沈黙の時を過ごすこんまり。そんな彼女を不思議そうにみつめる依頼者のアメリカ人。中には一緒に目を閉じて「家」に語りかける依頼者もいます。彼女は多くを語ることはないのですが、依頼者達は一様に、何かを感じ取っている様子でした。

 こんまりさん自身が、実際に家の片付けを行うわけではありません。彼女はあくまでも、方法を教え、片付けは依頼者自身が行います。一ヶ月、あるいはそれ以上の時間をかけて、何回かのこんまりさんの訪問指導を受けながら、片付けは進んでいきます。そして、重要なのは、家が片付くだけでは無く、依頼者が片付けを通して自分達の問題点に向き合い、家が片付く頃には、問題解決に向けての歩みも始まっているというところなのです。片付いた家にこんまりさんを迎えるとき、依頼者達の表情は明るく、自信が感じられるものになっているのです。

 ああ、これだ!と思いました。近藤麻理恵という人が、変わることのない自分というものを持ち続けていられるのは、「自信」に支えられているからだと思いました。そして、その自信とは、「ときめき」を感じられる物だけに、整然と囲まれた「日々の暮らし」がもたらすものなのだろうと思いました。

 片付いた部屋で暮らすと言うことは、知らず知らず、その人自身を形作って行くものなのかもしれません。当然、逆もあるでしょう。「恐ろしい」、これが私の最終的感想です。

 

 最後に、恐ろしい格言も一つお教えしましょう。

「性格は顔に出る。生活は体に出る」  

 厳しい言葉です。ちょっと目がチカチカ、スパークする感じですね。

 

 追伸 今週末は用事でちょっと忙しいので、2,3日、ブログをお休みします。私のブログを読む分の時間が空くことになるでしょうから、お家のお片付けでもどうぞ(笑)