16日の記事で、「まつげ」、中でも「下まつげ」が長い場合、ちょっとクセのある人相になると言うことを書きました。その直後、「ああ、この方のまつげ・・・」というお顔を発見しましたので、ご報告。
岩屋防衛大臣です。ナンシー関氏がご存命であれば、絶対に「下まつげ付き」似顔絵を彫られたに違いありません。ちなみに、今回ググって初めて知ったのですが、岩屋大臣は「政界の中条きよし」とよばれているのだそうです。
閑話休題。
16日の記事では、中村草田男の俳句を紹介しましたが、今日は、「まつげ」の使い方が絶妙な『歌詞』として、小椋佳・作詞作曲『愛燦々』について書きたいと思います。
愛燦々 作詞・作曲 小椋佳
雨 潸々と この身に落ちて わずかばかりの 運の悪さを 恨んだりして
人は哀しい 哀しいものですね それでも 過去達は 優しく睫毛に憩う
人生って 不思議なものですね
「優しく睫毛に憩う」って、小椋佳氏のオリジナルですよね。後にも先にも、聞いたこともないし読んだこともないです。それとも、私が知らないだけで、既存の表現なの?いずれにしろ、美しい表現です。
意味としては、「目に浮かぶ」ということなんでしょうけれど、「目に浮かぶ」のほうは「思い出そうとすれば」なのに対し、「睫毛に憩う」のほうは「いつもそこにある」状態ですよね。しかも、その「ある」ものを思い出とはいわず、過去達と表現している。思い出は美化されてしまうものですが、「過去」は、幾分かの穏やかさをまといはするものの、哀しい過去は哀しいままなわけです。そして、
それでも過去達は 優しく睫毛に憩うのです。しみじみと美しいです。
人の死を悼む歌のことを『挽歌』というそうですが、この曲はまさに、「美空ひばり挽歌」というべきものだなあと思いました。
ちなみに、小椋佳氏が銀行員(バンカー)であったことは、つとに有名ですね。