昭和40年代、日本テレビで、
「プラチナゴールデンショー」という音楽バラエティ番組がありました。プラチナ萬年筆の1社提供だったそうです。今回、ググッて、初めて知りました。
この番組のオープニングで歌われた番組テーマソングは「マイ・プラチナ」。
僕の日記~プラチナ~、愛の手紙プラチナ~♪ という歌詞です。口ずさんだ方、アラカン以上、ですね。
それにしても、1社提供って凄いですね。それぐらい、昔は「万年筆」が売れたということなんでしょう。
実際、昭和4,50年代には、子供が中学入学に際して買い与える「三種の神器」とも言うべきものがありまして、「腕時計」「自転車」そして、「万年筆」だったんです。これは私の故郷だけの習いだったんでしょうか。それとも、全国的なものだったんでしょうか。少なくとも「万年筆」は、中学・高校進学の祝いのお薦め品として、盛んにテレビでコマーシャルが流されていた記憶があります。この「プラチナゴールデンショー」の枠でみたんでしょうかね。
デフレ日本とかいわれますが、最近の「物」は、確かに昔に比べて安くなった実感があります。例えば中学生の三種の神器ですが、私が中学入学の頃(昭和49年)は、男子用の5段変速自転車は5万円前後、腕時計2~3万円、万年筆(同柄シャープペンシルとセット)1万円。合計で10万円近い出費だったはずです。昔の親は頑張りましたね。
さて、改めて、親の立場で息子達の中学入学を振り返ってみますと、自転車はホームセンターで1万円ぐらい(昔は自転車は自転車屋さんで買う物でしたね)。腕時計と万年筆は、「いらない」ということで、買わず。
では、今の親はどこで頑張るか?そうなんです、「スマホ」なんですよね。月々の利用料まで考えると、昔の「三種の神器」を合わせた以上の出費でしょう?そして、その利用料の支払いと新機種の購入費用は、大人になったその子供に引き継がれ、永遠に続くわけですよね。
デフレだとか、若者の〇〇離れだとか、まるで今の若い人はお金を使わなくなったかのようないわれ方をされます。でも、実態は「スマホ」、「ゲーム」といった、「形のない」出費が増大していて、「物」にまでお金を回す余裕が無いということなのかもしれません。いつの時代も若者は「お金がない」ものですが、その使い途は時代によって、大きく様変わりするもののようです。
我が家の息子その2が、高校を卒業するとき、「腕時計が欲しい」というので、卒業祝いにプレゼントしました。帰省してきた息子に、「腕時計、どう?」と聞きましたら、
「腕時計ってさ、メッチャ便利だよ。腕見るだけで、時間がわかるもん」
うん。そうだよね。「スマホ」と違って、取り出す必要無いもんね、便利だよね。
逆に、「万年筆」はきっと、不便さがいいんでしょうね。日記や手紙を万年筆で書いたら、すごく「丁寧」な仕事した感があると思うの。手がかかっている感じというか。
もし、私が達筆だったら、素敵な万年筆を一本手に入れて、愛用してみたいものです。残念ながら、私は悪筆で自分で自分の字にゲンナリしてしまうので、万年筆は高値の花です。手を出す勇気が有りません。津軽弁でいう、「じぐ無し」なんです・・・。
※、えー、最後を解説しますと、津軽弁で「じぐ無し」とは「意気地無し」という意味で、万年筆の「軸」にかけて、万年筆がない=軸無しということで。どうでしょう。